2017年2月24日金曜日

ブッダの瞑想(マインドフルネス禅)は脳の疲労を回復させる!雑念を消す方法がわかった!

瞑想(禅)は脳を休める最高の休息法

マインドフルネス瞑想・禅で雑念を消す方法

2500年前、ブッダは妄執を捨てよと仰せになりました。紀元前より人々はあれこれ考えることで精神を病んでいました。この不必要な思考をする習慣を捨てるには、瞑想(禅、マインドフルネス)または行動や目の前の景色に集中することによって無になる方法があります。

言葉で思考すると脳は疲れる

いったん左脳が開発されてしまい、人は言葉で考えることを学習すると、ついぐるぐると考えることが習慣になってしまいます。左脳で思考すると問題を解決する能力がついた半面、疲労しやすく脳を使い過ぎて疲れてしまう問題が生じました。

世の中には何も考えなくて脳が疲れず、いつでもどこでもすぐ寝られるタイプの人もいます。残念ながらそういう人は学習能力もありませんので教養レベルが低く、無自覚ながらも底辺にいることが多いように思います。

左脳が開発された人もまた教養が低い状態では非常につまらないことを考えまくって心が病んでいます。

私たち人類は基本的にすべてこのろくでもないことを考えて妄想に囚われるという心の病を抱えています。

たとえばロイヤルファミリーの王族の方が下々が使うような乱暴な言葉を心の中で思い描いて心に傷を抱えてしまい心因性の言語障害(吃音症や失語症)になる話がいくらか見られます。映画の「英国王」のスピーチは精神分析医が国王に心の中だけに封印してる「クソ」などという言葉を言わせることで症状を克服しました(映画の中の話では)。

私たちは常日頃、心の中で汚い言葉を思い描いています。あるいは奇妙なことを思い浮かべてはびっくりすることもあるでしょう。そこに囚われてそのこと自体に悩むと脳が疲れたり緊張や不安が発生します。

ブッダはこの妄想と執着を無意味なものであり気にする必要がなく連想を流してしまえとおっしゃいました。できれば思い浮かべないことが幸せですが、思ってしまってどうしてこんなことを思ったのだろうと執着してしまうのが人間です。

誰もが心の中で奇妙なことを思い浮かべては消えて忘れていますので、幸せになるには、本心ではないその考え(思い浮かべただけのこと)にいつまでも囚われて心配しないようにする必要があります。

体を使っても脳が疲れる

意外と思われるかもしれませんが、体の筋肉を使っても脳は疲れます。スポーツをしても脳は疲れているのです。ただ精神労働とスポーツとの違いは、スポーツは、ああ運動したなという充実感、つまり「休息のための大義名分」が得られるため休むことに抵抗感がなく、スムーズに休めることです。精神労働の場合、肉体がまだ疲れてないからと脳の疲労に気づきにくいことがあります。肩が凝っていたら休むべきなのですが、ほかの部分は疲れていないものですから、つい無理をしてしまいます。ですので、頭を使っている人は疲れに気づきやすくなる練習が必要です。

瞑想(禅)は雑念に反応せずにスルーする練習である

自分がつい思い浮かべてしまった嫌な言葉などに囚われないようにするには、反応せずにスルーする能力(受け流す能力)を鍛える必要があります。妄執をスルーするには、瞑想(禅またはマインドフルネス)を行い、浮かんできたさまざまな思いに反応せず心を鎮めるトレーニングです。この瞑想で自分を鎮める方法は寝る前や雑念が湧いてその内容に慌てた時に効果を発揮します。

行動に集中することで雑念に反応せずにスルーする練習

もうひとつ雑念に対する耐性をつける方法があります。それは写経や掃除など、行動に集中することによって心を鎮める方法です。人は同時にいくつものことを平行して考えられませんので、ひとつのことに集中していると心を患う余計なことを思わなくて済みます。何かに集中すること、「運転に集中する」「ゲームに集中する」「パソコンに集中する」日常のことでも集中している間は余計な事を考えずに済みます。集中が切れたら雑念が湧いてきますので、そこで雑念に囚われない、こだわらない訓練が必要です。


雑念への囚われる内容は変化する

雑念に囚われてしまうとそんなことを思ってしまった自分は大丈夫だろうかと心配になり、そのことで思ってしまった雑念が何度も思い出されて嫌な気分になってしまいます。反応しないことが一番ですが、普段の心の口癖を見直したり、反論したり、自分が納得するような言い訳を考えて気にしないようにしましょう。雑念への囚われを観察していると、ずっと同じではなく変化していることに気が付きます。

最終的には、そのことについて考える必要性はなく、思い続けることは意味のないことであり、解決済みであると処理する能力を身につけましょう。

よくある雑念では自分はテレビニュースで報道していた犯人みたいなことをしてしまうのだろうか?と思ってしまう雑念です。きっと誰もが一度は思うのではないでしょうか?しかしこのような心配をする人は、そうしたくないという気持ちが強いのでまったく大丈夫です。いったん心配するとつらい気持ちになりますけど、何度も思ううちに、ああ、これは前も考えたな、とわかり処理済みになります。わたしたちは脳が発達している割にはこういった非論理的な連想になると論理的ではないので焦ったりして冷静に情報を処理することができません。ブッダもおっしゃったように論理的・科学的に処理できない雑念は無意味なのです。なぜなら雑念は単に自分で空に思い浮かべただけであり、考えたわけではない、意思で思ったこと(結論)とは違うからです。雑念は空に思い浮かべただけの非合理なものなので信じたり検討しなくてよいのです。

今日できなかったら、明日またやればよいのです。

はじめはつらいかもしれませんが、瞑想などで訓練すると日に日に囚われが小さくなっていきます。

脳を疲れさせないためには浮かんだ雑念について一切考えたり分析しない

要は脳を疲れさせないためには余計なことを考えて脳を酷使しないことが一番です。怒ったり緊張したり不安になると脳は興奮して休み難く疲れやすくなりますので、なるべくそれらの感情を抱かないように訓練するしかありません。

そして考えない練習をして考えない技術を習得する必要があります。

考えない練習、頭を使わない練習をする

人間は体を使っても頭で考えても脳が疲れす。脳が疲れないようにするには、やはり何もしない・何も考えない時間が必要です。瞑想(禅やマインドフルネス)はまさに何もせず、何も考えない行動なのです。思い浮かべそうになったらストップをかける練習もよいでしょう。そもそもこの雑念が無駄であると悟ることがまず大事です。確かにその言葉などを思い浮かべた背景には、自分が差別されたくないということや、優位に生き延びたい、正気でいたい、罪を犯したくないなど生来備わっている基本的な欲望と不安が発生源となっています。なので、わかる人は分析してもよいとは思いますが、あまり賢くなくて知識もない人は考えずにスルーしましょう。ほんとうに賢くない人はそもそも積極的に考えないようにしていますので、たまには彼・彼女からバカになる方法を見習いましょう。私が観察した限り、まったく教養なくすぐ眠れて悩まない人(私の家族)は、「考えないように努めて」おり「悩むこと落ち込むこと不安になることを徹底的に避けている」のです。その考えることに対する回避能力は私も尊敬するほどであり、そのことで私がどれほど傷ついたとしても、当の本人は無関心です。つまり、人は考えないようにすることが可能なのです。ある意味賢いです。心の機微に鈍感で憎たらしいほど家族に対してもバレバレの嘘が得意です。自分を守るために積極的に無能になろうとした結果、ストレスを回避する能力に長けているのです。それが家族の心を傷つけているとしても。またその家族のきょうだいは「(漢字やことばで)わからないところは考えない」と言い切ってますので、親から受けついだ馬鹿がストレスコーピング(対処)に有利に働いているのです。

私の家族とそのきょうだいの思考パターンを例にとると、努めて考えないようにできるのです。当然その二人については無知による不幸の連鎖はありますけれど、ストレスを回避する能力は人類の中でも最高レベルといってもよいでしょう。

普段から「考えないでおこう」という習慣を付け加えるだけで、無駄なことについては対応できるようになると思います。

この積極的に考えないという行動は瞑想に通じるものがあります。

この考えない努力こそが、ストレス社会を生き延び脳の疲れを取る最高の休息法なのです。

結論

今日の勉強のまとめ

要は頭の使い方とはよく言ったものです。限りある人生です。いくら自己管理・自己分析が大事といわれる世の中でも、ビジネスメディアが言う通りに無駄な思考に生命力を費やしていてはもったいないです。そして明日のためにも寝る前には努力して考えない技術を身に着けて雑念の汚れを落とし脳を休めて脳の疲労を回復しなければいけません。はじめのうちはろくに眠れず疲労感が翌日にも残ることでしょう。しかし考えない練習を続けてすぐに寝る技術を習得することで人生そのものが大きく変わる可能性があります。安心してください、考えることに生涯を費やしたブッダでさえ衛生状態が悪い時代に80歳まで痩せながらも生きられたのです。かの親鸞でさえ90歳ですよ!考えること自体は寿命を短くするわけではないようです。この二人が何も考えずに過ごしていたとは思えませんし、仏教哲学についてや人々のことを常に思っていたことでしょう。ブッダも親鸞もおそらくは若い頃は私たちと同じように随分と思い悩んだことだと思います。論理的に冷静に考える能力はすぐには身に付かないかもしれませんが、雑念を捨てて脳を上手に休ませる技術を身につければ大抵の事は乗り越えられるのではないでしょうか?

誰もが脳を疲労させて神経症やうつ病になってしまう可能性のある時代です。その背景には勉強で脳を酷使することや、パソコンやスマホで脳を酷使すること、同じ作業や姿勢を延々と続けて脳を酷使する労働があります。夜は煌々と灯りがついており、脳が疲労しやすい環境に私たちは生きているのです。しかし万民が脳を休めることについては教育や政府は無頓着であり一部の興味ある人々だけが実践して修行していました。過労死などというのも脳が休めないからまともに考えられなくなり死ぬのです。あのスティーブジョブズだって過労死みたいなものでしょう。彼が瞑想を大事にしていたのは、攻撃心あふれる嫌味な自分を鎮める方法を得たくて、つまりそれだけ脳が興奮して疲れていたからです。睡眠や疲労、脳や神経症について長年研究してきた私が思うに家に帰ってから最短でも9時間は休息(脳を鎮めるのに3時間、寝るのに6時間)、出社までに10時間は家にいることが必要です。おそらくこの仮説は真実であることが示されるのも時間の問題でしょう。そもそも徹夜などというのは脳のパフォーマンスを低下させその疲労の影響は3習慣は続きますから無意味なのです。宴会の次の日はぐったり疲れているでしょう、それは脳が休めていないからです。旅行から帰った後しばらく疲労困憊という方もいるでしょう、それもまた脳が興奮したり体の疲労が脳に伝わっているせいで脳が疲れているからです。今の時代だって戦いとは無縁ではいられません。毎日を生き延びるためにはしっかりと脳が休息をとることが絶対に必要です。どうかみなさんも脳を休ませることを大事になさってくださいね。