2017年2月17日金曜日

不安や緊張をなくす唯一の方法

不安や緊張を克服する方法

不安や緊張をなくす方法

人生でここぞという時、たいていの人は緊張したり不安になったりすると思います。悩み事があると不安感に押しつぶされたり時には緊張して取り乱しそうになったりします。今回はそんな不安のお悩みを解決する方法を伝授したいと思います。

不安や緊張の原因とは?

なぜ人は不安になったり緊張するのか。これは人が自分を守るための本能です。心配したら不安になり緊張するのは当たり前の事なのです。人工的な環境に生きている私たちは無意識のうちに多種多様なストレスを受けています。そして人類普遍のストレスである生老病死や孤独と承認、自己実現などの欲求を抱えており、ストレスの種類も多岐にわたります。このストレスに加えて「くよくよする性格」「弱気になる気分」「バイオリズムからくる不調」「身体の不調」などが加わると、不安になりやすいといえます。


よくある不安と緊張のパターン

よくあるパターンが「緊張して混乱して人前で恥をかくのではないか」とか「(無意識に緊張して)めまいがしてどうかなったらどうしよう」とか社会で場数をこなしてなくて場面慣れしていない場合やはじめてそういったことを意識してしまった場合に精神的に不安になると思います。私も未成年の時にひとりで電車に乗って貧血になったことがあって以来、電車で緊張する癖がついてしまって随分とつらい思いをしながら電車に乗っていた経験があります。あるいは人前で何かを発表するときの本番や、緊張は大勢の人が見ている場面で起きやすいといえましょう。緊張すると体がカチカチになってしまい、おかしいと自分ではわかっていてもどうすることもできませんね。何度か不安と緊張で失態を演じるうちに「くよくよ悩む癖」ができてしまって寝る前に悩んで不安になったり「悩むことのプロ」になってしまいます。特にバイオリズム、性周期で排卵日から1~2週間あたりは女性は緊張したり不安になりやすい時期もあるので、その時の不快感によって考えたことに対し不安が増強されることもあり得ます。男性にも性周期はあるようです。

もとは体調不良とちょっとした失敗や、人生で最初の躓きが重なりその後の不安や緊張の原因となっていることが多いのではないでしょうか。そこから臆病さと悩むことがすっかり定着してしまい、自分が考えたことを嫌悪したり怖がったりして不安になるのだと思います。

挫折しやすくなった体質に自分をダメだと思い込んだり責めたりうんざりしているのではないでしょうか。

人は自然状態で悩むようにできているのです。

不安を解消する第一歩は「自分への愛」

よく「自分を愛する」「自分を大事にする」「自分を抱きしめよう」といった感じの本があります。私のおすすめはエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本が根本的な不安から自分を解放するために一番のおすすめです。不安になりやすい人は自分や他人に対して厳しい傾向にあります。一方で自分がかわいいものですから不安になること自体が嫌いで避けようともがいて余計に緊張してしまうループを繰り返しています。特にこの「自分を愛する」方法はパニック発作によく効きます。

自分をせない自分を許す、自分のために他人を

不安を手放すためには深い愛に触れることが効果があります。嫌な自分を許し、自分で自分を苦しめることをやめる決意をするのです。

この「愛と許し」は結構効果があります。

自分を正しい方法で愛することができないから不安になるのです。


不安と緊張そのものを克服する方法

根本的な不安は「愛と許すこと」である程度解消できます。次に、すっかり悩んで不安になったり緊張するループになってそこから解脱をしたい人におすすめの克服方法を教えたいと思います。不安や緊張のプロとなってしまったあなたは相当の場数を踏んでいると思います。不安で眠れぬ夜を過ごした日数も既に人並以上でしょう。ふと心配事を考えて不安になった日々も既に十分すぎる経験を積んでいると思います。つまりあなたは悩むことのプロです。もうそろそろ考えるたびに不安になる必要はないのではないでしょうか?左脳が良く訓練され考える力も十分についていることでしょう。

もうお気づきでしょうか?不安になりやすい人は考える力、思考能力は十分すぎるくらいについているのです。要はその考える力でどうすれば不安から抜け出せるか考えるのです。

「奇跡の脳」という本には、嫌な感情は90秒で終わると書かれています。

たとえば大勢の人がいる中で脳が体の反応を誤解して急に不安になったとしましょう。脳は集中力が解けてふと体が熱くなったことを緊張と誤解するんです。あるいは社会的場面で集中力が切れたこと自体を恥と思い自動的に緊張が生じる癖ができていることでしょう。その瞬間は頭がカーっとなって混乱し何も考えられなくなります。しばらくするとそのカーっとした感じは鎮まっていき、頭も意外とスッキリしています。これはただ単にその場面への集中力が切れて体がリラックスしようとしていただけだったところを脳が恥だと錯覚したために誤解して緊張が生じたのです。ほかにもたまたま心臓がドキドキしていたことから不安になるのではないかと誤解し緊張が生じることもあります。私たちは賢者ではありませんので、誤解するのです。

確かに次も同じ場面が来たら心配になるでしょうが、そこは勇気を持って挑みましょう。大丈夫であったらその次からは不安のレベルも下がります。

ストレスで睡眠不足になると、脳は疲労して敏感になっておりちょっとした事にも反応し感じやすくなっています。ぼーっとしている時も油断しているのでちょっとした刺激に敏感になりやすいです。そこはしっかりと睡眠をとると敏感さや疲労感が低くなっていく様子をしっかりと自分で自分を観察してみてください。

左脳は誤解して感覚を誤ラベリングするのが得意

先ほど紹介しました「奇跡の脳」からヒントを得ますと、脳は誤解しやすいのです。それは私たちの知能がそれほど賢くないことや、脳の進化が戦争のない平成の世に適応していないため過剰反応を起こしたり、トラウマによって誤反応の連鎖が引き起こされ自動化されてしまいます。

脳は誤解する

例えば、一日の仕事が終わりほっとした瞬間があるとしましょう。ほっとすると脳の筋肉の緊張がほぐれる瞬間のキューッとした感覚、あれを緊張が解けていると正しく認識せずに、何なんだこの感じは?と誤反応してしまうとせっかくリラックスしかかった筋肉がさらに緊張してしまい苦しくなってしまいます。

私たちは頭の感覚の変化を誤解しやすいのです。

この誤解のパターンで不安感というものは形成されていきます。頭や心臓に生じた感覚を緊張であると誤解して緊張するパターンです。体を動かしてたまたまドキドキしていたのを緊張と勘違いしたりします。

頭の感覚と思考を結びつけない

確かに緊張や恐怖は頭の特定の部位がカーっと熱くなるのでわかります。寝ているところを突然起こされて驚いた時は心臓がバクバクして大丈夫かなと不安になります。しかしそれ以外の細かい頭の感覚については明確にラベリングすることはできません。姿勢が悪くても、長時間同じ姿勢を続けていても頭の特定の筋肉に重い感覚が生じますので感情とは無関係の現象です。頭の感覚を不快な思考と結びつけようとするから不安が生じるのです。たとえば長時間パソコンをしていて久しぶりに外出すると頭の前頭葉のあたりに血が流れているような感覚がします。あるいは疲れていた頭の部位が刺激的に感じられます。これは単に血行が良くなったり疲労しているだけであり、不安と結びつける必要はありません。あるいは体内時計がズレて寝たい時刻に目を閉じても頭が冴えてるときに、眠りたいのにビンビンに冴えてることが嫌になり不快や不安になりやすいです。

考えを変える

日常生活を送っていると、いかに自分が不適応な思考の癖がいくつか身について自動思考をしているかわかるようになってきます。私の場合、常に抱いている不安をふと思い出しやすい習慣が身についていました。私の場合、不安の種は5つくらいありました。差別への恐れや、精神的健康への恐れや罪を犯すことへの恐れなど、それは逆に考えれば現在は差別されておらず精神的にも健康で法を順守しているということを意味しており、何も心配することはないのです。そしてそれは私の意思と覚悟でもあり、ポジティブな意味を持っていました。また人はどんなことでも思い浮かべることが可能ですから、悪いことは思い浮かべたくないのに、思わないでおこうと思ったらつい思ってしまうループに陥ることも苦しいものです。

ネガティブな考えの裏にはポジティブな意思が隠されている

そうなんです、何々だったらどうしようという裏には常にポジティブな意味が隠されています。「このまま病気で何々だったらどうしよう」は「少しでも元気になりたい」という前向きな意思の裏返しなのです。

つまり、心配性の人は本来ポジティブである

心配事の意味を考えると、たいていはポジティブな意味合いになると思います。
  • 眠れなかったらどうしよう→しっかり眠って脳を回復したい!
    • 大丈夫です、定時に起きるしかしっかり寝る方法はありません。
  • パニック発作になったらどうしよう→人前で恥をかきたくない!
    • つまり、承認欲が人一倍強く、人や自分のことが実は大好き!
  • へんな考えをしたらどうしよう、ちょっと思ったら不安になった→常に正気でいたい!承認欲が強いのです。人からよく思われたい。
    • あなたは正常です。自信を持ってください。
  • 落ち込んでるので鬱になったらどうしよう→元気に楽しくなりたい!
    • 元気はあなたの中にくすぶっており出したくてエネルギーが溜まっています。でも遠慮なく元気を出せる方法がわからないので内側に元気が溜まっているのです。
    • 今は脳が付かれているだけなので、定時に起きて、脳を休めましょう。
  • 家族が死んだらどうしよう!→家族が生きているだけで幸せなんだ!
    • 生きているだけで幸せ。四苦は避けられないので今を大事にしたい!
  • ストレス貯まってるなぁ→乗り越えたい!乗り越えて成長できる時期が来た!
人は誰だって元気に明るく楽しく生きたいものです。

しかし状況によってはそうできない時があり、たとえば身近な人の病気や死や配置転換などの大きなストレスが生じた場合は三週間~一か月くらいは無理は禁物です。ストレスが生じた直後はもっと「ああしておけばよかった」「楽しく過ごしたかったのにもうできない」という後悔と欲望がうずまいており、エネルギーを発散することが社会的に認められないため自分の中に渦巻いている状態(抑うつ神経症)です。

人生に関わるストレスの直後一か月は自分を大事に

生老病死に関わる出来事や、人生に大きく関係する出来事(ストレス)が生じてから一か月くらいは、自分の中の認識や思考パターンを変更する必要性がありますので、しばらくやうつ気味や神経症気味で食欲がなかったりすることはやむを得ないと思いましょう。こういった大きめのストレスがあった場合は、悩むことは午前中にしておいて、夜は21時くらいには体を横にして休めて無になる取り組みを積極的に行います。この時本当に助けになるのはあなたが信仰する宗教の教えを学ぶことや、苦しみを乗り越えた人の人生訓などの本を読むことです。

脳が疲労していますので、このときも一定の時間に起床することで睡眠と覚醒のサイクルを一定にしておくことが脳の疲労の回復への最短経路となります。

※つらすぎる場合は薬を処方してもらいましょう。


生きているうちは不安だらけ

不安と緊張から解放される方法

お釈迦様はこの世は苦であると仰せになられました。人として定められた老いや病気などの苦から逃れる方法はありません。そこにひと時の楽しみや安らぎ、幸せがあり、それらの小さな幸せを追い求めて生きている姿こそが美しい。子供の頃には生きるということは苦であるということはまったく知らなかったので、苦を感じるたびにどうしてこんなにつらいのだろうと思い悩んで私たちは命を削って生きてきました。このことは死ぬまで続き、逃れようもない運命を受け入れてあきらめることもまた苦に病むことから解放される道なのです。人としての命は尽きようとも、また何かの生命生まれ変わり命は続きます。終わりのある人生です、たっぷり眠りたいスッキリ起きたいなどと社会人である限り絶対に叶わぬ欲望や心配を捨てて日々を後悔のないように生きることや人生の目標を考えることこそが不安や緊張から解放されるベストな道であるように思います。

私の不安と緊張の体験談

私がまだ二十代で社会に出たばかりの頃です。満員電車の通路側に座っていた時でした。好きでもない男性の股の部分がちょうど私の顔の隣でブラブラとしていたため、私は不快になり、だんだん緊張して不安になりどうにかなりそうで少々過呼吸になりました。ぐっと我慢していると、何とかやり過ごせましたが、後もそのことはトラウマとなってしまい、電車で居てもたってもいられなくなったらどうしようという不安と逃げ出したい恐怖を抱くようになりました。

車内で不快になって緊張した経験からいわゆる電車に乗ることが怖いという状態も経験しましたが、結局は自分がそのように考えるから不安になるのであって、たとえ思って不安になったとしても卒倒することなくやり過ごせるということを学習してからはまったく大丈夫になりました。

要は不安で緊張状態になっても態勢を立て直せるという多くの経験が自信となり不安の解消法となりました。場数を踏めば私のような気が小さい人間でも学習できるのです。

私がこのようになったのは、幼少より課題をひとつずつ乗り越えてこなかったことが原因でした。勉強も嫌いで投げ出して、嫌なことを乗り越えずに、自分で考えずに来たことがそもそもの原因なのでした。もしもインターネットがあったら心の解決法がたくさん乗っているので私の子ども時代も良いものになっていたかもしれません。

不安や緊張、頭の感覚に慣れる!脳筋を休ませよ!

どんな日常的な感情も一瞬のものであり90秒、強い感情でも15分で鎮まります。喜びや幸福感ですら一瞬です。頭に強烈な反応が生じたら冷静に観察してみましょう。頭に生じた感覚と不快な考えを結びつけないようにしましょう。私たちが手足の筋肉の感覚に慣れるのと同じで、頭の感覚にも慣れるのです。緊張するときは、頭の筋肉がキュッとしまり、集中や緊張が終わると頭の筋肉にシュワッと血流が戻ってきます。頭の筋肉も手足の筋肉と同様の感覚で休ませる必要があり、翌日に筋肉痛と同じで頭にも疲労が溜まるのです。手足の筋肉が疲れすぎていても寝つきが悪くなるのと同じで、頭の筋肉なども疲れすぎても眠れなくなるのは当然なのです。

結論

人として逃れることのできない不安や緊張を受け入れる勇気を持ってください。不安や緊張を克服するには不安になってもよい、時には緊張してもよいという覚悟と勇気を持つことしかありません。自分を守るために不安や緊張、孤独を飼いならすのです。私たちが不安や不幸になることを避けてさらに不安になるのは、赤ちゃんや幼児が「嫌ぁああ」と拗ねることと本質的にはまったく同じ心理なのです。赤ちゃんと違うところはお母さんが「大丈夫だよ」と慰めてくれないというところです。そこは自分で「大丈夫だよ」と時には母や神仏をイメージして慰めるしかありません。朝起きられないのも体内リズムが乱れていることが原因であっても、そこを二度寝することはまさに幼児や赤ちゃんと同じレベルです。もちろん本当に脳が疲れすぎている場合は眠って気力を回復させて定時に起きる気力が出るまで休んでください。まずは脳の疲労を回復させることが最優先であるので、無理して学校や会社に行く必要はありません(が行かなければならないこともあるでしょう)。

脳が緊急時を脱したと判断すると「疲れがどっと出る」感覚が出てきます。これは脳が緊張から解放され、休んでもよい、何日か眠って休めば回復するよというサインです。事実私もこの体験をしまして、緊急時から2週間後に疲れがどっと出たことに戸惑いつつも、脳が休めていると実感できました。

お釈迦様はこうもおっしゃってます。「この世に真に楽しむべきものは何もない」と。楽しみを追いかけられない状況になったらこの言葉を思い出してみるとよいでしょう。

私たちは快楽を求めて日々暮らしています。「楽しくなりたい」それは本能であり否定する必要はありません。守るべきところは守り、許される楽しみを追い求めて、人生をしっかりと生きましょう。