2017年2月21日火曜日

誤った思考や価値観を訂正してストレスや不安に強くなる方法

ストレスや不安に強くなる方法がわかった!

人間にとって、ストレスによる不安(緊張)やうつ(落ち込み)ほどつらいものはありません。不安やうつになると心が苦しいです。今回は物事に対する認識や考え変えて心がラクになる方法を思いつきましたので教えたいと思います。

考えを変えなければいけない時期が人生に何度もある

長いようで短い人生、未熟で苦しみが深い人は考え方を変えて善く生きたいと強く願う時期が何度も訪れます。今までの価値観は誤りであったと素直に認めざるを得ないのです。


幼少~子供時代の認知の変容

幼児の頃は「快」で喜び「不快」で泣くということを繰り返してきました。人間の基本は大人になっても同じで快楽をよしとし不快をダメな物として認識しやすい傾向はなかなか治りません。しかし社会に出れば快楽にふけることがよしとはされず、時には不快を拒絶するわけにもいきません。ここに脳の矛盾が生じ苦が生まれます。大人になれば快で笑い苦で泣くわけにはいかないからです。

こども時代は母や父など大人が見守る中で不快を減らす経験を積んでいきます。おむつの中で排泄をした不快を消すには泣いて保護者を呼ぶか自分で排泄するしかありません。うまく排泄できたらお母さんたちが喜んでくれて不快もなくなりますので自分でトイレができるように学習するのです。

この世のあらゆる物を認識していく段階です。母、父、おじいちゃん、おばあちゃん・・・寝る、食べる、おもちゃ、部屋、お布団、空・・・などなど。この段階で悪い意味付けを行うことがどれだけ生きづらさとなるか想像も易いでしょう。たとえば父が不倫していて、その場面にあった物事、たとえば母親が泣いていた、父が暴れていたなどのことを子供が不安の対象と認識して家庭は安心できずつらいものと思ってしまうことだってあり得るのです。あるいは他人の悪口ばかり言ってる親など、子どもの価値観への悪影響は間違いないでしょう。

わがままを言って泣いたら父母など身近な大人に叱られたことはないでしょうか。今はどうか知りませんが日本では「わがままは叱る対象」ということが当たり前であったので単純に「意思表示すること=ダメなこと」と学習している人も多いのではないでしょうか。今の教育は適切に意思表示することが求められていますので、意思表示できなければ公務や貧しい仕事では通用しても民間の会社で通用しません。わがままを叱る教育方法だけでなく我慢したほうがよいときは我慢し必要であれば自分の考えを述べることもできる教育がこの段階で必要となるようです。

学校時代の認知の変容

学校といえば友達。友達はいいものだ、一緒に過ごすと楽しいから必要なのだという価値観がないと学校生活は苦になります。一人=悪い事という価値観がありますので一人になると苦しむのもこの時期の認識の特徴です。勉強できない=悪い事という価値観も植えつけられてしまう子供もいますが中学校までの成績の良し悪しは難関大学に行くのでなければどうでもよいことです。ここで自ら友達を作る能力がないと、苦しんで落ちこぼれていきます。後から友達になっておけばよかったと後悔する前に、友達を作る方法や勇気をもってクラスメイトに話しかける方法を親はしっかりと教えておくべきです。自分から人に話しかける能力は学校生活や社会生活を営む上で必須で当たり前で絶対に必要なことだからです。大人になってしまえば他人に話しかけることについて何ら勇気も必要もないことですが、子供のうちは勇気が必要です。自然に群れている時には気が付きませんけど、いったん孤立してしまうとびびって傷ついて挫折するほど怖くなるのがこの時期です。そしてそんな自分はおかしいのだろうかと思い悩みはじめます。子供が自分で友達づくりという課題を乗り越えるには子どもの小さな心では耐えがたい苦しみとなりますので、知識や経験がありませんので保護者の励脚や助言が必要となってきます。大人になってからも自然に群れているときにはまったく何とも思ってなくても、集団の中でひとりになってしまうと「あれっ」と寂しく思ってしまいますので積極的に他人の群れに加わる努力が必要です。

群れに加わる技術の習得は人生で必須のスキルであり群れの中にいても傷つきは避けられません。

たいていの場合、世代ごとの小さな群れ、あるいは緊密な関係での小さな群れに属します。もちろん群れの中身はそれぞれです。組織に属することが終わるとこの群れの縁は解消されることが多いです。長く関係を続けるには、共通の目的を持った仲間である必要があります。大人の人間関係が長く続き難いのは、同じ利益を享受できるかどうかが縁の切れ目となっているからです。

この家庭と学校の群れで、わたしたちはいくつかの文化と認知を習得します。方言や社会での認知の仕方、仲良くする方法など。未熟な群れに属すると、当然未熟なままです。意識高い系の高度な群れに属しても社会の底辺から出た子供は内容についていけず落ちこぼれることがあります。

10代のうちにどれだけ心が豊かになる経験をしたかでその後の人生に差が生まれます。


社会人以降の認知の変容

この文章の意味がわかっている人はある程度の教養がおありだと思いますので私のレベルで説明したいと思います。20代の頃ですが、この年齢で能動的に悟りを開いている人はビジネスに成功しやすいと思いますが、たいていの人は悟りが少ないはずです。教養や悟りのレベルに大きな差が開いているのが20代です。20代といえば自分の所得でショッピングや娯楽、大人がしているあらゆることを模倣して楽しむ年齢です。残念なことに、遊んでいるだけであっという間に20代が終わってしまいます。そして私たちはもう大人ですから自分に何が不足しているかについては自分でわかる年齢がまさに20代です。焦る20代、大抵の人は資格の試験勉強など、実務関連の勉強を最重要視して仕事と勉学と社会人としての経験に励みます。向学心が強いと恋愛している暇はありませんが、恋愛のアンテナを張っている人は結婚を考える年齢です。豊かな家庭で育った人は親の支援のもとさまざまな熟に通って20代で安定した職に就き結婚しやすい傾向にあります。一方で貧乏あるいは倹約してきた家庭で育った若者は過酷な試練に立ち向かい、この段階で婚期を逃してしまいます。

20代の方に言っておきたいのは、くれぐれも以下に述べる罠にはまらないようにしてください。「自分探し」「ほんとうの自分」「アイデンティティ」「自分とは」といった他人が作った流行に乗らないことです。これらを追求することは実に無意味で意味のないことなので、大切な時間をかけないようにしてください。そんなことよりも「恋人探し」「仕事探し」のほうがよほど有意義です。会社はあなたに自分の定義を言わせたがるかもしれませんけど、適当に都合よく聞こえのよい嘘を言っておく程度のものにしましょう。嘘が上手に使えることも商売では必要スキルです。終わった恋や人間関係は手放すことで幸せになれます。組織はあなたに人生のすべてを捧げさせたがりますが、それもまた方便(嘘)で無意味なことであり、所詮は金の切れ目が縁の切れ目です、調子よく演じるだけにして家庭を第一と考え組織に心まで依存しないようにしましょう。

スルーする能力を養い相手(上司など)の挑発に乗らず、売られた喧嘩は買わないことが幸せになる方法です。相手がどんなに偉くても怒ったり挑発することは心が幼稚であることに違いはありません。挑発に乗らない限り、あなたは既に勝っており、相手は攻撃的になった時点ではじめから負けているのです。幸せのあために出会わないほうがよい人間との関係は涼しく乗り切りましょう。攻撃的な人への対応は相手の言っていることを受け止めてそのまま言い返すオウム返しが有効です。

30代もまだまだ精神的に未熟ですが、その後のことを考えた行動をとる年齢に達してきます。そして責任を感じるのがこの年代です。自分の行動や考え、認識の仕方すべてに責任を負っており、これまでの親などから譲り受けた認知の誤りの変更を迫られるのもこの年代です。もちろんまったく気づかずに過ごされる無意識系の方も多数いらっいます。さまざまな自分の価値観が誤っていることに気が付きがっかりきますので30代の独身はたいへん凹みやすいです。お釈迦様は29歳で出家しましたので、30代で悟りに励むのには遅くはありません。

30代、特に独身は社会や隣人は自分にとって生涯必要なものであると同時に怖いものであるということを学びます。結婚や子供は生きる目的となる大事なことであり、孤独から逃れる方法であることも思い知ります。そして親の死は避けられぬ、そしてもうすぐそこに迫っている事実であり、精神的な自立を急ぐ必要があるのもこのあたりの年齢の人の特徴です。20代で結婚しなかった人の中には自分の心の未熟さを痛いほど自覚しており心の成熟を目指して努力してきた方も多いのではないでしょうか?その努力の結果が出るのが大体30代の後半です。子供に誤ったことを教えたくなくて結婚しなかった一方で、まさに生物としての人生の折り返しが30代中盤です。単に自己管理という一言では表せない多くの能力を養う必要性が出てくるのが30代であり、この時期にはたくさんの認知や思考の訂正や変更が必要となっています。30代以降はもはや心を病んではいられませんので自分で苦痛となる考えを捨て去り悟りを開くことが必要となってきます。以降は不安や緊張といったこれまで避けてきた嫌な感情を克服してマスターしないといけないのです。

考えや価値観を変える

人が考え方や価値観を変える時はどのような時でしょうか。それは必要に迫られた時、つまり出来事がありストレスを受けた瞬間です。私たちはストレスを悪いものとして認識すると心が苦しくなりあれこれ無駄なことを考えてしまいます。しかしその苦しみはあなた自身の心が作っているのであり、同じストレスを受けてもケロっとしている人がいるのも事実です。ストレスこそが成長するタイミングであり、決して悪い意味だけではありません。

もうこんなに苦しいのは嫌だ、ラクになりたい(私もよくこんな状態になりますw)」

そう思った時こそが考え方や認識の仕方を変える絶好の機会なのです。この機会を逃せばまた次に同様の場面が来ると同じように苦しんでしまうことになります。

素直に、ラクになりたいことを認める。

資料もデータもない愚かな頭で考えまくって何とか打開策を考えるのではなく、自分の考えが苦しいのだと認めましょう。劣等感、不安感、緊張、これらにこだわるから苦しいのです。生きている幸せは、病気になって寝たきりになっている人のことを思うと、自分の手足が自由に動けることは幸せなんですよ。ぐるぐる考えるよりも、思い切ってわ~っと爆発したほうが実はラクなんです。頭が真っ白になって思考が止まるので気持ちいいですよ(笑)しかもこの感覚もすぐ終わりますから。頭が真っ白になることを恐れるから長時間不安になりその場から逃げたくなるのです。素直に緊張した一瞬と、緊張をおそれるための長いうつうつとした時間、どっちがラクかは比べるまでもないでしょう。もう何度も考えてもうまくいかないことは考え方が間違っているのですから、また考えかけたらそこで間違っていたことを認めましょう。

たとえば、はじめての教室で誰からも声をかけられなかった場合、あなたはどうしますか?自分から人に話しかけることが孤独感を解消するためには一番ベストですが、そのままひとりぼっちで孤独を味わうことも可能です。でもひとりのままでいたときにやってはいけない考えが「私は誰からも愛されない」「私は人から好かれないんだ」「わたしはひとりぼっち」「どうせ私なんか・・・」という思い込みです。これは幻想であり意味のない考えであり正しくありません。正しくは「私は人に声を掛けられることを待っているだけの甘えん坊で人に声をかけないからひとりなのだ」ということです。これは思い込みではなく事実です。下をむいて無駄なことをぐるぐる考え空想するくらいなら、他人を観察して目ぼしをつけたほうが建設的で事実に基づいています。

会社や学校に行きたくない気分のときも考え方をチェックします。まずは19時以降に活発に活動しすぎて疲れていないかチェックします。19時以降にパソコンやスマホやタブレットでゲームなどに逃避していると夜眠れなくなり朝起きづらくなるのは当たり前です。頭がぼーっとして出社して疲れているだけなのに会社のストレスのせいにして会社に行きたくないと言っているならその認識や思考は誤りです。まずは夜遊んだり活動しないようにして1か月は様子を見てみましょう。会社や学校での出来事も問題を克服してしまえばまた行きたくなるかもしれませんので悪事をスルーする修行の場と考えたら行ってみたくなるでしょう。上司や同僚は敵ではなく攻略して自分の浅はかさに克つためのゲーム台、という程度に思えば問題もゲーム機並みとまではいきませんけど少しは小さくなるでしょう。あなたはヒーローではないのですから他人の悪事をどうこうすることなどできるはずもありません。客観的に過酷すぎるようなら逃げることも忘れずに。

人生の苦難を乗り切るコツを次の記事で伝授します。