2017年2月24日金曜日

退屈で楽しくない人生を楽しむには無に喜びを見出すべし

退屈でつまらない平凡な人生が楽しくなる方法

幸せになる方法

日々の生活で何となく楽しくなかったり、退屈を感じたり、つまらないと感じたことはありませんか?私もあることを悟るまではストレスを感じると「もっと楽しくなりたい!」とか「面白いことないかな」と何もない静寂が怖くて逃避をしたものでした。そうかといってテレビを付けると怖いニュースや見たくもないことが垂れ流されるものですから気分が滅入ったりもしました。日本に住んでると、散歩したくても近くに何キロも歩けるような安全な公園はありませんし、道路は危ないので自由に散歩もできませんので、ジムに行くとお金がかかるし、夜はもっと危ないし、と自然状態ではストレスが解消しづらい環境になってます。そうこうしているうちにストレスをため込んで脳の血管が破れたり詰まったりがんになったりして体が不自由になってしまうのが私たちの行く末ではないでしょうか。そんな運命になる私たちに今できることは何なのか考えてみました。

何もないところで楽しむ最善の方法は心の静寂に幸福を見出すこと

すぐに刺激を求めて興奮する習慣がついている私たち。テレビも何もつけずに部屋にいると刺激が欲しくなってきます。動物ですからそれも仕方ありません。しかし刺激の欲求レベルを下げることにより、ちょっとしたことでも幸福感というか、満足感を得られることが可能です。それは心を鎮めて穏やかになることです。心が鎮まっていること自体に幸せを感じるのです。何でもストレスと思い込んでしまいやすい私たちです。興奮している時には周囲のことなんてどうでもよくなりますけれど、心が鎮まれば小さなことに喜びを見出すことができるのです。心を鎮めることを趣味としてもよいでしょう。瞑想して心を落ち着ける技術が身に着けば、人ごみでも満員電車でもどんな場所にいてもへっちゃらです!?

食生活を健康的にすることに幸福を見出す

食生活によっては血管が破れたり詰まったり、心臓が痛くなったりします。私の場合、牛肉と豚肉を食べすぎると心臓がチクッと一瞬だけ痛くなります。この獣の脂は適量では血管を強くするらしく、しかし摂りすぎるとよくないみたいです。なかなか1食あたりの適量というものがどれくらいなのかはわかりませんけど、豚肉でいえばロース2枚くらいがちょうどよいのではないかと思います。一気に何枚も肉を食べるのではなく、適量を回数に分けて摂取したほうが体によさそうです。魚も焼くよりかは煮た方が健康的でしょう。焼肉食べ放題は、高齢になるほどちょっと危ないですね。そしておかずの数ですね。おかずは小皿に3品あれば十分でしょう。幸せになるためと思えば、献立を考えることも苦にはならないと思います。コンビニ弁当も近頃はカロリーやタンパク質や脂質が表示されていますので、悪くはないですよ。お菓子はまた食べたい誘惑が強いので買わないようにしましょう。炭水化物の菓子よりも果物とヨーグルトとナッツがおすすめです。

幸せとは、心が平穏で澄んでいること

やっぱり幸せとは何かというと、心が平穏でいることだと思います。心が荒れていたら何をやっても楽しくはありません。心が静かでいれば、脳も疲れにくいです。心が荒れている状態は脳がオーバーヒートしていますので回復には普段の何倍もの休息と睡眠が必要です。人類にとって一番の幸せは、心が落ち着いていることだと私は思います。気持ちが落ち着いていることを幸福と思いましょう。「幸せになりたい!」などと思ってるうちは心が浮かれているのです。「楽しくなりたい!」と思ってる時もストレス貯めてます。

確かに浮かれて興奮気味のほうが明るく楽しくなっているので幸せなのでしょう。でもいつまでも浮かれていると脳が疲労しますし、いつだってそのように振る舞える機会があるわけではありません。明るく楽しく騒げば満足感があって「ああ、楽しかったな」と休息モードに入りやすいというメリットがあるのは確かです。つまり要は自分が納得して安心して休息する理由が欲しいのです。遊んで楽しければ疑う必要もありませんからね。しかし快楽だけに頼っていると面白くなかった日には不満を抱いて眠り難くなったりします。それは自分が一日に納得しなかったからなのです。これではまた快楽が欲しくなってしまい、快楽に依存する体質が生まれてしまいます。依存もまた苦しみの原因となりますので、やはり「明るい楽しいわくわくすること」に頼らず一日の終わりを納得して休む技術が必要となってきます。

自分を大事にすることに楽しみを見出す

自分大好き人間、人は誰でも自分がかわいいものです。自分だけかわいがって、と嫉妬を言う人ですら、自分がかわいいのです。要はかわいがり方の問題です。他人を妬む人は自分を正しく愛せていません。自分がかわいいのに自分を愛せていない人がいます。結局は自分のためにしか行動したり考えられない自分しかいないのです。他者への援助行動を偽善と罵る人もいますけど、他人を助けることはそのこと自体が「徳」「善」であり何もしていない人のほうがもっと悪いのです。自分の幸福のために他者を助けることは当たり前でありこの世の事実です。親でさえ自分を守るためには時には子を罵るものであり、自分が大好きなのです。誰もが自分がかわいいのですから、どうせならいじめずに優しくして大事してみてはどうでしょうか。自分を正しく愛せてないと、人を愛することはできません。勘違いしてはいけないのは見返りや名声を求めては苦しみに繋がります。つまらない自分と見下げてはいても、ほんとうに危険のある場所からは逃げ出すほど自分はかわいいのです。ここは素直に自分が好きなんだと認めましょうよ。

心にゆとりをつくる

自分が自分を好きであり愛さずにはいられないことは逃れようもない事実です。自分なんて・・・どうせ自分は・・・と思っていても自分がかわいいのです。自分を卑下する人たちだってピンチになれば逃げるのは自分がかわいいからです。みじめな自分を演じているだけで素直になれていない、自分を愛する方法がわからないだけなのです。

ブッダがおっしゃった「心をよく整えること」ということは、自分をいたわる善いことです。自分を卑下すると暗い気持ちになり悪いことを考えがちですのでそれは自分のためになりませんのでやめる努力が必要です。長年身に着いた習慣をやめるのは一苦労ですが、幸せになるためと思えば行動を変えることは苦ではありません。だって幸せになりたいのになれないと卑下してきたみなさんですから、本当は幸せになりたいのでしょう?幸せになる行動をとらない理由などありません。

そうやって気持ちを落ち着ければ、意外と日常を楽しめるようになるものです。