2017年2月25日土曜日

無駄に考えないことで幸せになる方法-無意味な思考からの脱却-すべての心の問題は解決する

私たち人間である限り、脳の疲労、つまりうつ病や神経症そしてひきこもりなどの不安にまつわる問題は誰でも避けられません。それは脳を使い過ぎて脳の疲労回復ができていないために生じる問題なのです。

幸せになるには無駄なことを考えず脳を疲れさせ過ぎない!

思考、考えることで脳は疲労する
考えすぎ、思考のしすぎが脳の疲労を招き不幸な心理状態(疲弊してネガティブ思考に陥った状態)に陥ることは2500年前、ブッダが既に解明していました。頭を使いすぎることは脳の疲労、つまり心因性の慢性疲労症候群の状態を招くことが私の実体験でわかりました(器質性除く)。悩んで眠れないと頭がぼーっとした状態(抑うつ状態)で外界を見る心の余裕がありません。そして体もだるいし、まるで運動した翌朝の疲労感がずっと続いているような感じになります。そしてふとした刺激が強く感じられて過敏に反応してしまいます(神経症)。脳がだるいのでその状態に合わせるかのようにネガティブな思考をしては自分で反応してはびびってしまいます(神経症)。この思考の悪循環による脳の疲労、慢性疲労のパターンが繰り返し続くと日常生活にも影響が出ますので脱却することで元気になれました。

思考のループで不眠となり慢性疲労症候群やうつや神経症になれる!

寝る前にあれこれ考えると誰だって眠れなくなります。寝る前に考える習慣がついていると睡眠時間が短くなり翌朝起きることが大変になり、二度寝をすると睡眠と起床の時間が後退していきます。そうかといって無理に起きるとだるさが脳の疲労に応じた時間持続するのでつらさを感じます。どちらにせよ、脳は疲労しており過敏になっているので誤反応が生じやすい状態です。この状態にみなさんがその時お持ちのネガティブな思考パターンが合わさると、うつや神経症やひきこもり、不登校のような状態に陥りやすくなります。しかし健全な思考でいる場合は脳疲労は何日かかけて回復し、また元気になれるのです。つまり誰でも脳が疲れた状態になるものの、考え方によって結果が違ってくるのです。

考えない練習をすると脳疲労が回復して頭が軽くなる!

ネガティブ思考が癖で抑うつ神経症であった私が実際に、寝る前や日中に考えないことを実践してみると、頭が軽くなっていました!これは瞑想マインドフルネスと言われる実践方法と同じやり方です。私はある時、頭の使いすぎが脳を疲労させていることに気が付きました。別に悩みのあるなしに関係なく、仕事で脳を酷使しても眠り難くなっており、肉体を酷使しても眠り難くなっていることに気が付きました。これは小脳などの特定の部位が思考や行動をすることで疲労していることで、その部分が興奮して眠れなくなっているのです。この脳が疲れて興奮している状態を鎮めるには最低でも寝る前の3時間は積極的に何もせずに心身を鎮める必要があることを発見しました(2017年、私)。ですので脳が疲れた状態でいきなりベッドに入ったら3時間くらいは眠れなくて当たり前です。疲労や睡眠にこだわっていた私だからこそ気づいた事実といえました。起きる時も無理して一定時間に起きたほうが脳のパフォーマンスが良いことを発見しました。そして起床してから2時間以内に屋外で日光を浴びることで心身が整いやすくなりました。起きる時は暖かいちゃんちゃんこを枕元に置いておくことや暖房のタイマーをセットしておくことも大事です。起きた瞬間はものすごく眠いけど「ああ(眠気を感じられて)幸せだ」と一言つぶやいてみることで起きやすくなりました。人生が幸せだというとすぐにマイナス思考になるでしょうから眠気があって幸せだということは事実ですので正しいです(笑)もちろん冬はものすごーーーく暖かいコートを着て帽子をかぶって顔と手だけ出した状態で十分です。

要は考え方ひとつで元気になれるのです!!!つまり、不幸は自分の心が作り出し、幸せもまた自分の心が作り出していることは真実です。

無駄な考えに気づき、無駄な思考をやめる

私たちは幼少よりの悪習慣によりネガティブ思考をする癖になっています。それは幼稚園や小学校、中学校や高校で軽口を叩いたり悪口を言ったり見聞きして体験していたことが身についてしまったのです。テレビやインターネットの悪影響も強烈です。典型的な口癖は「~だったらどうしよう」です。これは私も高校生のときに身近な友達から学習してしまい、この一言のせいで落ち込む習慣が出来上がってしまい何かと苦労しました。この「~だったらどうしよう」という思考パターンは単なる想像(妄想)ですからまだ脅威が来ていない状態です。しかしこれを思い浮かべた瞬間にガクーンと不安になる習慣が身に着いたらそれは間違った反応なのです。そもそも「~だったらどうしよう」という考えそのものが無意味な妄想の場合と、本当に起こる場合があり、単なる妄想であり意味のないことがほとんどです。仮に根拠があり起きうることならば現実に対応すればよいのですから心はやみません。つまり心配して落ち込む原因のほとんどは無意味な妄想にあります。そういうことは考えなければ元気になれるのです。

元気になるためには、無駄なことを考えない努力が必要です。

誰もが何かしら頭をからっぽにすることで精神を健康に保ってます。しかしノイローゼ気味の人は心配することを選び元気になる努力をしていません。力の使い方が間違っており、ある意味怠けているので怠けと言われるのは当然すが、怠けと言われるとキレたり落ち込んだりする思考パターンを持っているので気づくまでは事実を受け入れられません(私もそうでした)。うつや不安から抜け出すには甘ったれた私たちにとっては厳しい精神修行(実は簡単)が必要なのです。心が弱いということも事実なんです。

心が強くなるには無駄なことを考えない、思っても延々と考える材料に取り上げない練習を繰り返すしかありません。どんなにストレスフルな立場にいる人でも精神的に参らないのは、脳を休ませる方法を知っているからなのです。

頭の反応をやめる、頭の感覚を観察して反応しない練習をしてみよう

頭の血管が収縮したような感覚にいちいち言葉で反応しないようにしましょう。同じ場所が痛んでも、思考内容とは関係ありません。長時間同じ姿勢でいたり、何かに集中して体が固まっているから頭に鈍い感じがするだけであって、思考内容とは関係ないので誤反応しないようにしましょう。確かに頭で考え続けると頭のおでこの上あたりに感覚を覚えます。しかしだからといって思考内容とは無関係であり、むしろその時固まっていた姿勢との関係が強いのです。集中が切れるとは、その姿勢に疲弊したので血行を良くするために自動的に血が通い頭がズキズキしたりシュワッとして疲労回復しようとしているのです。自分が元気になろうとしているのに、そこで思考して緊張して回復の邪魔をしてはいけません。だいたいうつや心配性の人は頭に感覚があっただけで反応してしまうので、疲労から回復しようとしている反応に対し条件反射で悪いことを思考することにより緊張しまた引き締めて疲労を積み重ねてしまうのです(私の実体験です)。私は注意深く自分を観察することにより、この現象に気が付きました。自分で自分を疲れさせており愚かなことを繰り返していたのです。

私たちには自動で疲労回復する機能が備わっており、その瞬間にネガティブ思考などで緊張することで回復を邪魔しています。

夜に休もうとしているのにネガティブな思考をすると緊張してしまって疲労が回復しないのは当たり前の現象なのです。寝れない寝れないと言って苛立つ行動は自分で回復を邪魔してるのです。

考え方を変えることで脳は休息し回復します。

脳を休めて疲労回復する方法

これまで述べたことからもう読者のみなさんは脳を休めて疲労回復する方法はおわかりになったかと思います。すべての疲労は脳が疲労しているから生じるのであって、よく眠り考えないことで脳の疲労は回復します。

寝る前の3時間は心身の緊張を緩める時間に費やしてください。一定時間に起き光を浴びます。朝一で洗濯物を干すとよいでしょう。起床後は無駄なことを考えない決意と眠気を有難いと思い眠気を感じられて幸せだとつぶやきます。日中は頭に感覚が生じても思考と結びつけず、単に感じているんだなと思います。

たったこれだけで脳の疲労は回復します。

この習慣を身につけることこそが幸せと思いましょう。

脳が疲れていないだけでも人は幸せなのです。

いじめの原因がわかった!

精神的に健康な人は無駄なことを考えません。憎らしくなるほど落ち込む考えや暗くなることを徹底的に避けています。時には落ち込んでいたり傷ついて暗くなっている人を攻撃するほどです。だから傷ついて暗くなっている人は嫌われたりいじめられやすいのです。みんな自分がかわいいものですから、自分が嫌っている心理状態の人を攻撃するのです。他人の中に自分を見出したと錯覚して攻撃するのです。この世の真理に目覚めていない人は自他の区別がついていないのです。他人は自分の鏡だという言葉の真理は人はそれほど賢いわけではなく自分と他人の区別がないことにあるのです。

私たち人類は脳を無理やり発達させてきましたがそこにはまだ生物学的に無理がありさまざまな病が生じています。人間の脳はコンピューターとして完璧ではなくエラーもよく生じるので誤反応、勘違いや騙されたりするのです。人が他の人を滅するまで攻撃する裏には自分は絶対にそうなりたくないという異常なまでの抵抗、拒絶感、敵意、根底には強い不安があるのです。不安があるからこそ人は他人を差別するのです。無知な昔の人は障がい者をおそれて差別し身分差別では自分は迫害されたくないので差別するという不安と恐怖のループが続いていました。自他の区別がつき、自分はああはならないという絶対的な自信と覚悟と決意があれば人は他人を攻撃しません。善人が他人に優しいのは心が強く悪に堕ちないという確信を持っているのです。いじめる人間は人格に障害があり、ある意味「いじめなければ安心できない」妄想にとらわれており病識のない強迫神経症であるといえましょう。どこに行ってもいじめるのは心の病気だからです。いじめ側にカウンセリングが必要な理由がここにあります。虐待も家庭内暴力もみんな心が病気なのですが、不安を怒りに変えて発散させる行動を繰り返しているため衝動を自分の内側に向けて落ち込むことはないので病気であっても病識なく無自覚でいられるのです。暴力の問題行動にばかり目が行きがちですが、彼らもまた根底には強い不安があるのです。


結論からいうと、多くの人間は不健全な思考を親から受け継いだ時点ですべからく心の病にかかってます。この世の荒波を乗り切るにはいかに暴力の病気の人を伴侶に選ばないように見抜く必要があります。

弱いからこそ、精神的に弱い人は他人を攻撃する。昔話でいうと、王位をめぐり継承者の男子を抹殺していく王は王座を奪われることへの恐怖心が強く安心したいという思いが強いからです。あるいは暴君タイプの君主もまた処刑を多くするのは恐怖心からです。いじめも自分が拒絶している心(愛や善の心や優しい心、幸せ、裕福貧乏、孤独、鈍感力などなど)いじめた側が抱いているコンプレックスを持つ他人が怖く思えるから攻撃するのです。いじめる側は自分を嘘をついてでも肯定しますから、自分は悪くないので悪いのはあいつだと嘘を言い張り親も同じ心的機構を持っているものですから子供の嘘を嘘と知ってて信じるのです。

どうしてもいじめられたくなければ自分も落ち込むパターンを拒絶して強く元気になるしかありません。そして誰もが他人にとって嫌いな部分を多少は持っていますので他人に嫌われいじめられることを覚悟してください。善人が悪人から激しく攻撃されたりその逆であるのは自分が絶対に認めたくない人格を持っているので当然なのです。他人の思想に干渉することは命に関わる争いの原因となっていますよね、人間なんてその程度なのであり怖れるに足らぬのです。未成年のうちは社会は未知で怖いもののように映りますけど、人というものの本質を知ってしまえば他人を怖がる必要はないのです。誰でも共通する部分は同じで人から好かれたい、認められたい、愛されたい、嫌われたくないとあなたとおなじ単純な生き物です。となんだかまるでアドラー心理学みたいですね、アドラーは大学では学ばなかったのですが師のひとりが何番目かは知りませんが弟子であったのでこういうことなんだと今理解できました。(2017年、私)

根本的な原因は心の傷

やはり落ち込む思考に陥っている人の根本的な原因は遠い過去の心の傷が癒されていないことにあります。案外精神分析のトラウマ(心的外傷、PTSD)の理論は当たっているのです。幼少期から青年期に性犯罪や家庭内暴力などの暴力で不幸な事に遭遇してしまい、落ち込んだり不安を抱えたまま学校に通うと暗くなりがちでそれが自分なのだと周囲から誤解を受けてしまい、余計に苦しみが増えて引っ込み思案になったり消極的になったり緊張してしまい学校生活が苦痛になります。たいていの親は子供の心の傷に対して無関心ですから、心に傷を抱えたまま、さらに傷つきを得て大きくなっていきます。子供は傷ついていること自体に無自覚ですから、自分がなんて落ち込んでいるのか学校で緊張するのかわかりません。やがて思春期になり傷ついている自分を認識してどうしてよいかわからないのでさらに落ち込みます。そこで不登校になったり、神経症になったりしますが自分でも原因がわからないのでわかる人からの援助がないと立ち直ることができずに成人を迎えます。心が傷だらけで愛や勇気の何たるかも知らずに育ってきたものですから本能的に逃避、回避行動をとりがちです。

しかし安心してください。どんな不幸があったにせよ、過去は既に過ぎ去ったものであり単なる記憶でしかなく実在しないものなので今の問題を過去のせいにすること自体無意味なのです。

私もずっと昔の出来事のせいにしていたうちはくよくよとして元気がなかったです。

過去のせいにしているうちは元気が出なくて当たり前なのです。元気になりたければ今の問題を過去のせいにしてはいけません。

すべては今という瞬間しかないことに気づくのです。

過去を悔やみ未来を憂えることも無意味であり妄想で考える必要のないことです。

今この瞬間を努力して生きることに全力を費やし過去と未来のことは妄想としてくよくよと考えることを捨ててください、そうすれば元気になれます。

私たちは次の瞬間から生まれ変わっているのであり次の瞬間からまた何度でもやり直せるのです。

要するに、気にするな!気にすること自体が無意味で無駄な思考です!

私は、私と同じ、みなさんを励ましています。

私が語る、この人間の本質(真実)を理解すれば、少なくとも心因性のうつや神経症、自分や社会に対する不安はほとんど解決すると思います。

この世に傷ついたことのない人なんていません。元気な人というものは意識して落ち込まない努力をした結果に元気になった人と、本能的に傷つくことを徹底的に避けてきた天然の人とがいるだけです。落ち込んでいる大抵の人はこの本能的に徹底的に傷つくことを避けてきた動物的な人々によって傷つけられてきたとは思いますが、彼らのような人として目覚めていない動物である要素が強い人よりはみなさん方のほうが自制心と判断力や思考力が高いので人間らしく幸福になれるという自信と勇気をもってください。

どうか賢く優しく生きてください。

2017年2月24日金曜日

退屈で楽しくない人生を楽しむには無に喜びを見出すべし

   

退屈でつまらない平凡な人生が楽しくなる方法

幸せになる方法

日々の生活で何となく楽しくなかったり、退屈を感じたり、つまらないと感じたことはありませんか?私もあることを悟るまではストレスを感じると「もっと楽しくなりたい!」とか「面白いことないかな」と何もない静寂が怖くて逃避をしたものでした。そうかといってテレビを付けると怖いニュースや見たくもないことが垂れ流されるものですから気分が滅入ったりもしました。日本に住んでると、散歩したくても近くに何キロも歩けるような安全な公園はありませんし、道路は危ないので自由に散歩もできませんので、ジムに行くとお金がかかるし、夜はもっと危ないし、と自然状態ではストレスが解消しづらい環境になってます。そうこうしているうちにストレスをため込んで脳の血管が破れたり詰まったりがんになったりして体が不自由になってしまうのが私たちの行く末ではないでしょうか。そんな運命になる私たちに今できることは何なのか考えてみました。

何もないところで楽しむ最善の方法は心の静寂に幸福を見出すこと

すぐに刺激を求めて興奮する習慣がついている私たち。テレビも何もつけずに部屋にいると刺激が欲しくなってきます。動物ですからそれも仕方ありません。しかし刺激の欲求レベルを下げることにより、ちょっとしたことでも幸福感というか、満足感を得られることが可能です。それは心を鎮めて穏やかになることです。心が鎮まっていること自体に幸せを感じるのです。何でもストレスと思い込んでしまいやすい私たちです。興奮している時には周囲のことなんてどうでもよくなりますけれど、心が鎮まれば小さなことに喜びを見出すことができるのです。心を鎮めることを趣味としてもよいでしょう。瞑想して心を落ち着ける技術が身に着けば、人ごみでも満員電車でもどんな場所にいてもへっちゃらです!?

食生活を健康的にすることに幸福を見出す

食生活によっては血管が破れたり詰まったり、心臓が痛くなったりします。私の場合、牛肉と豚肉を食べすぎると心臓がチクッと一瞬だけ痛くなります。この獣の脂は適量では血管を強くするらしく、しかし摂りすぎるとよくないみたいです。なかなか1食あたりの適量というものがどれくらいなのかはわかりませんけど、豚肉でいえばロース2枚くらいがちょうどよいのではないかと思います。一気に何枚も肉を食べるのではなく、適量を回数に分けて摂取したほうが体によさそうです。魚も焼くよりかは煮た方が健康的でしょう。焼肉食べ放題は、高齢になるほどちょっと危ないですね。そしておかずの数ですね。おかずは小皿に3品あれば十分でしょう。幸せになるためと思えば、献立を考えることも苦にはならないと思います。コンビニ弁当も近頃はカロリーやタンパク質や脂質が表示されていますので、悪くはないですよ。お菓子はまた食べたい誘惑が強いので買わないようにしましょう。炭水化物の菓子よりも果物とヨーグルトとナッツがおすすめです。

幸せとは、心が平穏で澄んでいること

やっぱり幸せとは何かというと、心が平穏でいることだと思います。心が荒れていたら何をやっても楽しくはありません。心が静かでいれば、脳も疲れにくいです。心が荒れている状態は脳がオーバーヒートしていますので回復には普段の何倍もの休息と睡眠が必要です。人類にとって一番の幸せは、心が落ち着いていることだと私は思います。気持ちが落ち着いていることを幸福と思いましょう。「幸せになりたい!」などと思ってるうちは心が浮かれているのです。「楽しくなりたい!」と思ってる時もストレス貯めてます。

確かに浮かれて興奮気味のほうが明るく楽しくなっているので幸せなのでしょう。でもいつまでも浮かれていると脳が疲労しますし、いつだってそのように振る舞える機会があるわけではありません。明るく楽しく騒げば満足感があって「ああ、楽しかったな」と休息モードに入りやすいというメリットがあるのは確かです。つまり要は自分が納得して安心して休息する理由が欲しいのです。遊んで楽しければ疑う必要もありませんからね。しかし快楽だけに頼っていると面白くなかった日には不満を抱いて眠り難くなったりします。それは自分が一日に納得しなかったからなのです。これではまた快楽が欲しくなってしまい、快楽に依存する体質が生まれてしまいます。依存もまた苦しみの原因となりますので、やはり「明るい楽しいわくわくすること」に頼らず一日の終わりを納得して休む技術が必要となってきます。

自分を大事にすることに楽しみを見出す

自分大好き人間、人は誰でも自分がかわいいものです。自分だけかわいがって、と嫉妬を言う人ですら、自分がかわいいのです。要はかわいがり方の問題です。他人を妬む人は自分を正しく愛せていません。自分がかわいいのに自分を愛せていない人がいます。結局は自分のためにしか行動したり考えられない自分しかいないのです。他者への援助行動を偽善と罵る人もいますけど、他人を助けることはそのこと自体が「徳」「善」であり何もしていない人のほうがもっと悪いのです。自分の幸福のために他者を助けることは当たり前でありこの世の事実です。親でさえ自分を守るためには時には子を罵るものであり、自分が大好きなのです。誰もが自分がかわいいのですから、どうせならいじめずに優しくして大事してみてはどうでしょうか。自分を正しく愛せてないと、人を愛することはできません。勘違いしてはいけないのは見返りや名声を求めては苦しみに繋がります。つまらない自分と見下げてはいても、ほんとうに危険のある場所からは逃げ出すほど自分はかわいいのです。ここは素直に自分が好きなんだと認めましょうよ。

心にゆとりをつくる

自分が自分を好きであり愛さずにはいられないことは逃れようもない事実です。自分なんて・・・どうせ自分は・・・と思っていても自分がかわいいのです。自分を卑下する人たちだってピンチになれば逃げるのは自分がかわいいからです。みじめな自分を演じているだけで素直になれていない、自分を愛する方法がわからないだけなのです。

ブッダがおっしゃった「心をよく整えること」ということは、自分をいたわる善いことです。自分を卑下すると暗い気持ちになり悪いことを考えがちですのでそれは自分のためになりませんのでやめる努力が必要です。長年身に着いた習慣をやめるのは一苦労ですが、幸せになるためと思えば行動を変えることは苦ではありません。だって幸せになりたいのになれないと卑下してきたみなさんですから、本当は幸せになりたいのでしょう?幸せになる行動をとらない理由などありません。

そうやって気持ちを落ち着ければ、意外と日常を楽しめるようになるものです。
   

ブッダの瞑想(マインドフルネス禅)は脳の疲労を回復させる!雑念を消す方法がわかった!

   

瞑想(禅)は脳を休める最高の休息法

マインドフルネス瞑想・禅で雑念を消す方法

2500年前、ブッダは妄執を捨てよと仰せになりました。紀元前より人々はあれこれ考えることで精神を病んでいました。この不必要な思考をする習慣を捨てるには、瞑想(禅、マインドフルネス)または行動や目の前の景色に集中することによって無になる方法があります。

言葉で思考すると脳は疲れる

いったん左脳が開発されてしまい、人は言葉で考えることを学習すると、ついぐるぐると考えることが習慣になってしまいます。左脳で思考すると問題を解決する能力がついた半面、疲労しやすく脳を使い過ぎて疲れてしまう問題が生じました。

世の中には何も考えなくて脳が疲れず、いつでもどこでもすぐ寝られるタイプの人もいます。残念ながらそういう人は学習能力もありませんので教養レベルが低く、無自覚ながらも底辺にいることが多いように思います。

左脳が開発された人もまた教養が低い状態では非常につまらないことを考えまくって心が病んでいます。

私たち人類は基本的にすべてこのろくでもないことを考えて妄想に囚われるという心の病を抱えています。

たとえばロイヤルファミリーの王族の方が下々が使うような乱暴な言葉を心の中で思い描いて心に傷を抱えてしまい心因性の言語障害(吃音症や失語症)になる話がいくらか見られます。映画の「英国王」のスピーチは精神分析医が国王に心の中だけに封印してる「クソ」などという言葉を言わせることで症状を克服しました(映画の中の話では)。

私たちは常日頃、心の中で汚い言葉を思い描いています。あるいは奇妙なことを思い浮かべてはびっくりすることもあるでしょう。そこに囚われてそのこと自体に悩むと脳が疲れたり緊張や不安が発生します。

ブッダはこの妄想と執着を無意味なものであり気にする必要がなく連想を流してしまえとおっしゃいました。できれば思い浮かべないことが幸せですが、思ってしまってどうしてこんなことを思ったのだろうと執着してしまうのが人間です。

誰もが心の中で奇妙なことを思い浮かべては消えて忘れていますので、幸せになるには、本心ではないその考え(思い浮かべただけのこと)にいつまでも囚われて心配しないようにする必要があります。

体を使っても脳が疲れる

意外と思われるかもしれませんが、体の筋肉を使っても脳は疲れます。スポーツをしても脳は疲れているのです。ただ精神労働とスポーツとの違いは、スポーツは、ああ運動したなという充実感、つまり「休息のための大義名分」が得られるため休むことに抵抗感がなく、スムーズに休めることです。精神労働の場合、肉体がまだ疲れてないからと脳の疲労に気づきにくいことがあります。肩が凝っていたら休むべきなのですが、ほかの部分は疲れていないものですから、つい無理をしてしまいます。ですので、頭を使っている人は疲れに気づきやすくなる練習が必要です。

瞑想(禅)は雑念に反応せずにスルーする練習である

自分がつい思い浮かべてしまった嫌な言葉などに囚われないようにするには、反応せずにスルーする能力(受け流す能力)を鍛える必要があります。妄執をスルーするには、瞑想(禅またはマインドフルネス)を行い、浮かんできたさまざまな思いに反応せず心を鎮めるトレーニングです。この瞑想で自分を鎮める方法は寝る前や雑念が湧いてその内容に慌てた時に効果を発揮します。

行動に集中することで雑念に反応せずにスルーする練習

もうひとつ雑念に対する耐性をつける方法があります。それは写経や掃除など、行動に集中することによって心を鎮める方法です。人は同時にいくつものことを平行して考えられませんので、ひとつのことに集中していると心を患う余計なことを思わなくて済みます。何かに集中すること、「運転に集中する」「ゲームに集中する」「パソコンに集中する」日常のことでも集中している間は余計な事を考えずに済みます。集中が切れたら雑念が湧いてきますので、そこで雑念に囚われない、こだわらない訓練が必要です。


雑念への囚われる内容は変化する

雑念に囚われてしまうとそんなことを思ってしまった自分は大丈夫だろうかと心配になり、そのことで思ってしまった雑念が何度も思い出されて嫌な気分になってしまいます。反応しないことが一番ですが、普段の心の口癖を見直したり、反論したり、自分が納得するような言い訳を考えて気にしないようにしましょう。雑念への囚われを観察していると、ずっと同じではなく変化していることに気が付きます。

最終的には、そのことについて考える必要性はなく、思い続けることは意味のないことであり、解決済みであると処理する能力を身につけましょう。

よくある雑念では自分はテレビニュースで報道していた犯人みたいなことをしてしまうのだろうか?と思ってしまう雑念です。きっと誰もが一度は思うのではないでしょうか?しかしこのような心配をする人は、そうしたくないという気持ちが強いのでまったく大丈夫です。いったん心配するとつらい気持ちになりますけど、何度も思ううちに、ああ、これは前も考えたな、とわかり処理済みになります。わたしたちは脳が発達している割にはこういった非論理的な連想になると論理的ではないので焦ったりして冷静に情報を処理することができません。ブッダもおっしゃったように論理的・科学的に処理できない雑念は無意味なのです。なぜなら雑念は単に自分で空に思い浮かべただけであり、考えたわけではない、意思で思ったこと(結論)とは違うからです。雑念は空に思い浮かべただけの非合理なものなので信じたり検討しなくてよいのです。

今日できなかったら、明日またやればよいのです。

はじめはつらいかもしれませんが、瞑想などで訓練すると日に日に囚われが小さくなっていきます。

脳を疲れさせないためには浮かんだ雑念について一切考えたり分析しない

要は脳を疲れさせないためには余計なことを考えて脳を酷使しないことが一番です。怒ったり緊張したり不安になると脳は興奮して休み難く疲れやすくなりますので、なるべくそれらの感情を抱かないように訓練するしかありません。

そして考えない練習をして考えない技術を習得する必要があります。

考えない練習、頭を使わない練習をする

人間は体を使っても頭で考えても脳が疲れす。脳が疲れないようにするには、やはり何もしない・何も考えない時間が必要です。瞑想(禅やマインドフルネス)はまさに何もせず、何も考えない行動なのです。思い浮かべそうになったらストップをかける練習もよいでしょう。そもそもこの雑念が無駄であると悟ることがまず大事です。確かにその言葉などを思い浮かべた背景には、自分が差別されたくないということや、優位に生き延びたい、正気でいたい、罪を犯したくないなど生来備わっている基本的な欲望と不安が発生源となっています。なので、わかる人は分析してもよいとは思いますが、あまり賢くなくて知識もない人は考えずにスルーしましょう。ほんとうに賢くない人はそもそも積極的に考えないようにしていますので、たまには彼・彼女からバカになる方法を見習いましょう。私が観察した限り、まったく教養なくすぐ眠れて悩まない人(私の家族)は、「考えないように努めて」おり「悩むこと落ち込むこと不安になることを徹底的に避けている」のです。その考えることに対する回避能力は私も尊敬するほどであり、そのことで私がどれほど傷ついたとしても、当の本人は無関心です。つまり、人は考えないようにすることが可能なのです。ある意味賢いです。心の機微に鈍感で憎たらしいほど家族に対してもバレバレの嘘が得意です。自分を守るために積極的に無能になろうとした結果、ストレスを回避する能力に長けているのです。それが家族の心を傷つけているとしても。またその家族のきょうだいは「(漢字やことばで)わからないところは考えない」と言い切ってますので、親から受けついだ馬鹿がストレスコーピング(対処)に有利に働いているのです。

私の家族とそのきょうだいの思考パターンを例にとると、努めて考えないようにできるのです。当然その二人については無知による不幸の連鎖はありますけれど、ストレスを回避する能力は人類の中でも最高レベルといってもよいでしょう。

普段から「考えないでおこう」という習慣を付け加えるだけで、無駄なことについては対応できるようになると思います。

この積極的に考えないという行動は瞑想に通じるものがあります。

この考えない努力こそが、ストレス社会を生き延び脳の疲れを取る最高の休息法なのです。

結論

今日の勉強のまとめ

要は頭の使い方とはよく言ったものです。限りある人生です。いくら自己管理・自己分析が大事といわれる世の中でも、ビジネスメディアが言う通りに無駄な思考に生命力を費やしていてはもったいないです。そして明日のためにも寝る前には努力して考えない技術を身に着けて雑念の汚れを落とし脳を休めて脳の疲労を回復しなければいけません。はじめのうちはろくに眠れず疲労感が翌日にも残ることでしょう。しかし考えない練習を続けてすぐに寝る技術を習得することで人生そのものが大きく変わる可能性があります。安心してください、考えることに生涯を費やしたブッダでさえ衛生状態が悪い時代に80歳まで痩せながらも生きられたのです。かの親鸞でさえ90歳ですよ!考えること自体は寿命を短くするわけではないようです。この二人が何も考えずに過ごしていたとは思えませんし、仏教哲学についてや人々のことを常に思っていたことでしょう。ブッダも親鸞もおそらくは若い頃は私たちと同じように随分と思い悩んだことだと思います。論理的に冷静に考える能力はすぐには身に付かないかもしれませんが、雑念を捨てて脳を上手に休ませる技術を身につければ大抵の事は乗り越えられるのではないでしょうか?

誰もが脳を疲労させて神経症やうつ病になってしまう可能性のある時代です。その背景には勉強で脳を酷使することや、パソコンやスマホで脳を酷使すること、同じ作業や姿勢を延々と続けて脳を酷使する労働があります。夜は煌々と灯りがついており、脳が疲労しやすい環境に私たちは生きているのです。しかし万民が脳を休めることについては教育や政府は無頓着であり一部の興味ある人々だけが実践して修行していました。過労死などというのも脳が休めないからまともに考えられなくなり死ぬのです。あのスティーブジョブズだって過労死みたいなものでしょう。彼が瞑想を大事にしていたのは、攻撃心あふれる嫌味な自分を鎮める方法を得たくて、つまりそれだけ脳が興奮して疲れていたからです。睡眠や疲労、脳や神経症について長年研究してきた私が思うに家に帰ってから最短でも9時間は休息(脳を鎮めるのに3時間、寝るのに6時間)、出社までに10時間は家にいることが必要です。おそらくこの仮説は真実であることが示されるのも時間の問題でしょう。そもそも徹夜などというのは脳のパフォーマンスを低下させその疲労の影響は3習慣は続きますから無意味なのです。宴会の次の日はぐったり疲れているでしょう、それは脳が休めていないからです。旅行から帰った後しばらく疲労困憊という方もいるでしょう、それもまた脳が興奮したり体の疲労が脳に伝わっているせいで脳が疲れているからです。今の時代だって戦いとは無縁ではいられません。毎日を生き延びるためにはしっかりと脳が休息をとることが絶対に必要です。どうかみなさんも脳を休ませることを大事になさってくださいね。
   

2017年2月23日木曜日

パニック発作(神経症)を自分で治す方法(実体験)

   

パニック発作を自力で治す方法

消耗し尽くしたイメージ写真

私が実際にパニック発作を完治させた方法を教えたいと思います。私は二十歳頃から2年間、予後を含めて6年間くらいパニック発作という不安障害の一症状に苦しんで、自力で完治させましたのでその方法を教えたいと思います。あんな苦しい思いはもう二度としたくないと今でも強く思っていますので、その「パニック発作で二度と苦しみたくない」という思いが勇気を奮い立たたせることになり、完治に繋がりました。

パニック発作の症状

パニック発作といえば、まずは漠然とした不安な感じがして、空気が薄い感じがして、それから呼吸困難というか、いくら空気を吸っても酸素が入った感じがしなくて恐怖を感じる、まさに恐怖反応そのものです。そして恐怖で生じた興奮物質により脳が休まらず常に疲労した感覚が続きます。

不安障害の症状

不安障害といえば、病名ですけど、何かと不安になる心の状態です。パニック発作を経験して何事にも不安になる状態になるのは当然でして、自己に目が覚めるまでは誰でも不安障害を経験すると思います。私の場合、予期不安というものが最後まで残っていたので、それを自力で治して克服する必要がありました。

私のパニック発作の体験談

きっかけは不眠で頭がぼーっとしていてちょっとした体調不良の時に、社会的場面に出席せねばならず、胸を締め付ける服を着ていたせいで初発の発作が起きその場から「逃げ」ました。そして二度目の発作はその夜に、このままの堕落した生活ではいけない気がして、とリラックスしてテレビを見ている時にまた起きてしまい、体は熱いし苦しくてこれは異常だ!と病院に行き通院することになりました。かなりの衝撃でこの事自体が大きなトラウマとなりました。はじめのうちはもう、恐怖心で脳がいっぱいでした。何もかもが怖いという状態、そういう物質で脳が満たされていたので、それを消す方法がわかりませんでした。PTSDでもありましたが当時はそういう診断名をつけることに慎重になっていたので、いじめの後遺症ではそういう診断はつきませんでした。

抗不安薬で発作を抑えつつ、私は大学に通っていました。でも緊張するたびに呼吸が苦しくなる症状は4年間続きましたし、発作が起きたらどうしようという不安がずっと付きまといましたが大発作はその後一度も起きませんでした。症状をずっと隠していましたから、そのこと自体も不安の原因として加わって激しいストレスを感じつつ、勉強に専念して卒業しました。一方でまったく発作のことを忘れていた時は、全然普通に元気でした。

大学卒業後はフリーターをしつつ、悶々と日々を過ごしていたこともストレスでしたが、いろいろ学んで自問自答を続けていたある日、もうこんな日々は嫌だ、治りたいという強い気持ちが生じて治りました(笑)このめっちゃ強い気持ちこそがパニック発作の予期不安や不安になりまくりの過敏状態を完治させる薬となりました。

つまり、この過呼吸と恐怖心の発作というものは自分の心の弱さと恥をかくことへの恐怖から生じた症状だったのです。勇気を出せば治るのです。

今思えばほんとうにバカみたいだと思います。自分の心が弱いから発作が出てそれを何年も心配を繰り返していたなんて、しかも親はどうしてこんなに苦しいのか理解してくれないし傷つきまくりの子供時代でした。結局、症状自体は誰も助けてくれなかったので、自力で何とかするしかなかったということが症状を引き起こす原因のひとつとなり、皮肉なことに完治する動機にもなりました。

パニック発作と不安障害の要因

私が自己分析した、パニック発作や不安障害の原因
  • 不安・緊張という症状への恐怖
  • 心の弱さ
  • 不眠による過敏
  • どこかで偶然学習した「~だったらどうしよう」→不安という思考パターンの定着
  • 頭の感覚を感じる→不安という誤った条件学習の定着
  • 寝る前に悩む習慣
  • もともと言葉で思考する能力が低い右脳型
  • 普段からもうダメだとか、自己嫌悪
あの大発作が起きると、もとの性格がどうであれ誰だってショックで落ち込んで不安で暗くなります。でも医師の言葉で一発で治る人もいるので、不安や恐怖で過呼吸や過敏の症状が出る病は心の問題だといえます。そうはいってもあの激しい死の恐怖の繰り返しや胸苦しさは、まずは抗不安薬で止めるしかありません。まずはそこからです。

不安発作の根本的原因がわかった!

どんな理由にせよ、恐怖心をともなう胸苦しさという恐ろしい症状を薬で抑えなければ症状に囚われて自分の心について考える余裕もありませんので、先に進めません。もとの性格はどうであれ、治すためには愛と勇気と左脳の開発が必要です。希望は必要ありません。

とにかく、愛と勇気が何たるかを実体験をもって言葉で学習しないとこの病は治りませんでした(苦笑)映画を見たくらいでは愛は動画で表現していますけど、言葉では具体的に説明しませんので左脳には効きません。

そうなんです、不安の病を治すには左脳の開発が必要なんです。芸術家が心理療法で治すかどうかの判断を迫られるのは、右脳優位の脳を変えるかどうかの選択を求められるので芸術活動に影響があるからです。もちろん左脳を使っても芸術活動はできますけれど、パフォーマンスへの影響は職業芸術家にとって大事な問題です。

何度も言いますけれど、不安になりやすい人は左脳が未開発、言語での思考が開発されていないから起きるといってもいいと私は自分の経験でわかりました。右脳で感じた反応を左脳が適切な言語を与えていない、不安になる言葉を与えてしまったために不安発作が生じるといってもよいでしょう。私の場合、これで間違いないと思います。

では、どうすれば不安の思考癖は治るのか?

不安発作を契機に、不安になる思考が習慣することは当然の現象であると思います。この病に陥ってしまうと、完治には何度も言う通り、愛と勇気が必要です。特に何度も勇気を持って思考を訂正する必要がありますし、自分に優しくする訓練も必要です。いままでの自分というものを改めます。


勇気を出す方法

大体、不安に苦しむ原因は誤った思考を訂正する勇気がないからです。不安発作が起きやすい場面は、最初のうちは社会に接する場所、外出中であると思います。これはみんなの前で醜態を晒したらどうしようという心配が症状を作っています。その何々だったらどうしようという思考が神経症の症状を作っているのです。
  • 神経症の症状で恥を晒すことを怖れない勇気
  • 発作で死にはしないという事実を心から理解し受け入れる勇気
  • 思い切って倒れてもいいくらいに思う勇気
  • 数々の不安は実際に起きないという事実を受け入れる勇気
  • 過去未来への執着をあきらめる勇気
  • よい事実を発見して認める勇気
  • 余計な事を考えて不安になり緊張することを怖れない勇気
  • 自分を正しく愛する勇気
  • 健全な状態になる勇気
  • 逃げない勇気←一番大事
大体、神経症の発作が起きるのは高速で余計な事を考えて自分で不安になるよう盛り上がっているときです。一瞬でそういう心配をするから緊張するのです。まずはその心配事を高速で考えて慌てて不安が高まってきている自分を冷静に観察します。

勇気を出すのは、激しい症状、興奮物質の蓄積による脳の疲労が治まってからでよいです。

自分を愛する方法

神経症になる人は、私も含めて自分で自分の心を傷つけることが習慣になっているのではないかと思います。私はもうダメだ、うまくいきっこない、落ちこぼれだ、デブだ、モテナイ、暗い、いじめられる、戦えない、臆病、体型にコンプレックスがある、貧乏だ、友達少ない、すぐに人を恨む、自分を恨む、愛を認めない、愛欲への執着、引っ込み思案だ・・・などなど、もともと臆病で自発的に行動しないタイプが多いのではないでしょうか?そのくせ尊大な自分を見せたがったり、安全な場面では普通にあるいは強気に振る舞っていませんか?そもそも人生の苦しみを苦しみと思い苦しんでいる人も症状が出やすいと思います。

そのネガティブな思考のループから脱却する必要があります。

そこに必要なものがなのです。神経症はこの愛と愛する勇気があれば治るのです。

では健康な愛とは何でしょうか?私が学んだところによると、愛とは、素直に親の愛を受け入れる心がまずそのひとつ。反抗期では親を不快と思い一緒にいるだけでホルモンの関係から不快感が生じてこどもは荒れ狂ってしまいます。親も万能ではないので、コミュニケーション方法にも家庭で差があったりして、暴力や汚い言葉で家庭が汚染されていたために愛を理解せずに育つこともあるでしょう。不完全ながらも養ってもらったことには素直に感謝するのです。日本人の家庭ではストレートに愛情表現しない家もあるでしょうから、愛の何たるかも知らず心が歪んで神経症になりやすくて当たり前なので、神経症になってもそのことは別に変ではないので悩む必要はありません。しかし神経症を治すには健康的な愛がわかる必要があります

私たちは人間ですから、愛について学習することは意外なほどに簡単です。愛といっても異性(または同性)を恋い慕う恋慕の情ではありません。恋は愛することとは違います。

親を愛する

反抗しまくったダメ親でも、親は親でありこの世に二人しかいないかけがえのない存在です。うざくても親は親。いなくなると悲しいし寂しいし、いたらいたで一緒にくっついているとホルモンの関係(本能プログラム)で離れたくなる存在。世間と比較していくらダメ親だったとしても、ご飯を食べさせてもらい学校に行かせてもらい、住まわせてもらって、ときには遊んでもらったり、汚い言葉を浴びせられたりして心の教育はなかったかもしれないけど、どんな親でも親は親なんですよ。親という試練を乗り越えることもまた神経症を治すポイントです。親が与えてくれた試練はきっと私たちが生きるために必要な課題であったと思うと感謝はしておいたほうがよいでしょう。だって世の中にはいろんな人がいてもっとひどい人もいたりする。親との不一致を乗り越えられない臆病者だからこそ症状が出たのですから、親との関係を克服することもまた幸せに繋がる道なのです。料理が下手な親だったら自分でおいしい料理を作る試練を与えてくれます。とても教養のない親でも自分本位で生きて子供のことすらろくに考えないことがストレスを感じにくく毎日快眠できるということを身近で憎らしいほど学習させてくれます。教養が高すぎる親は毎日脳をフルで使い過ぎてオーバーワーク気味となり体調をよく崩して休むのに苦労していることを学習させてくれます。子供を寂しくするタイプの親だったら自由時間が増えて干渉するタイプと比べるとストレスも少ないです。何にせよ、親という存在を愛を持って克服すると、幸せにつながります。自分が欠点だらけなのと同じで、親もまた欠点だらけであることを受け入れたうえで愛するのです。自分や親にできないことを親に求めてはいけません。

他人を愛する

他の人を愛するのは簡単なようで怠けてしまいがちです。嫌いな人であっても自分にとっては必要な存在であり、世界にとっても必要だから存在しているのであり、むやみに憎まないようにしましょう。自分が幸せになるためには憎まないことです。憎むことが不安発作を引き起こす原因となりやすいです。憎い相手には正しく幸せになってもらい、自分に興味など持たないほど幸福になってもらうことを祈りましょう。慈悲の心を心がけると、自分の心が元気で健康になりますよ!そして愛しても成就しない恋は思い切って手放しましょう。人間の恋は勘違いの産物で異性(または同性)であればどんなに望まぬ相手や社会的に許されぬ相手でも近くにいればホルモンの関係で勝手に発情してしまう生き物です。人間が発情する相手は、案外、適当です。それを一生の何とか、などと思ってしまったり、あれこれと執着するとストレスになるので自分の幸せのためにはご縁が終わった相手には執着しないようにしましょう。友達の数は、人が丁寧に付き合える人数はせいぜい2、3人です。友達の人数の大小で悩まないようにしましょう。

自分を愛する

神経症の人は健康的に自分を愛することができていません。神経症の人は大体思考に対して無責任で自他に攻撃的です。自分に対しても遠慮なく攻撃するので苦しくなるのです。怒りや批判、不安はストレスホルモンを発生させるので不快となり緊張や興奮が生じ苦しみの元凶となりやすいです。自分を健康的に愛するためには、怒ったり心配して興奮や緊張する回数を減らすことが重要になってきます。

自分を許す

だいたい神経症になる原因は嫌なことを考えている自分が許せないからです。いつまでも執着している自分を許して解き放つのです。思いを手放す練習と技能の習得が必要なのです。

「症状が出たらどうしよう」という執着を手放すことが神経症の症状を治すために一番の近道です。症状が出てもいいや、別に倒れちゃってもいいや、くらいに思う勇気あきらめが肝心です。そもそも神経症の症状を心配すること自体が、幻想であり無意味でどうでもいいことなのですから。

あおむけに大の字に寝転がって、頭の筋肉を緩めて、自分を許してみましょう。


頭の感覚を習得してマスターする

大体、神経症になるにはいくつかの条件があります。まずはストレスとなる出来事があり脳が興奮して体が緊張しており寝付けなくて翌日以降に頭がぼんやりと疲労した状態になっています。この状態では何事に対しても刺激が敏感に感じられ、あの二日酔いみたいな感じとまではいかないまでも、刺激に対して誤反応しすい状態になっています。脳が疲れているときに刺激が強く感じられ脳が誤反応することによって症状が出ます。空気が薄い感じがするのもストレスで疲弊した脳が感知してしまったためにこれはたいへんだと慌てたのです。

要は脳の誤反応を消す、訂正することで神経症は治ります。

電車である駅に近づくと空気が薄くなります。それは換気していないからであって、その駅を過ぎると換気ダクトが開いて酸素が入ってきます。部屋でも大勢がいると酸素が薄くなり二酸化炭素が増えます。ストレスと睡眠不足で脳が疲弊していると二酸化炭素を感知しやすくなり、誤解してしまうとこれは命の危険があり逃走する必要だと誤反応が生じてしまうのです。私もそうでしたので、愛と許しなどの訓練により緊張のレベルを下げることで二酸化炭素の感度も下がりました。

上がってしまった緊張のレベルを下げるためには、自分で頭の緊張を緩める能力の開発が必要です。

大体頭の筋肉には前頭筋、側頭筋、後頭筋があります。私の経験では命の危険を感じるほど怖い時は後頭筋が緊張して突っ張ります。悩み過ぎると前頭筋のあたりが考えるたびにズキズキ緊張して、固まってたりします。アクションゲームをしてると側頭筋を使いすぎますのでこれらの筋肉を意図的にほぐす必要があります。

3つの頭の筋肉をほぐすには、休憩が早道です。運動やお風呂に浸かることもよいですが、それぞれの筋肉が疲れすぎたら病気になりますので、筋肉を使う行動をやめることです。夢中になっている時は疲れに気が付かないものの、集中が切れて「ああ、疲れた」と思うだけで頭の緊張はほぐれ、頭に疲れを感じます。「もう少しで帰れる」と思った瞬間から休息モードに入ります。思うことで案外リラックスできるのです。しかし長時間同じ筋肉の使用を続けた場合や神経症の時は緊急モードになっていますので、なかなか休憩のスイッチが入りにくくなっています。その場合は3時間くらいは意識して休まないと筋肉が緩まないことも私は気が付きました。寝る前に思考すれば当然休んでいないことになるので翌朝疲れが残ります。要はどれだけ上手に休む能力を身につけるかについても、神経症を治すことに繋がります。ひとつの悩みにとらわれてしまうと、何日も考え続けてしまいませんか?まずはその習慣をやめる努力が必要なのです。

努力なくして健康な心は手に入りません。

がんばれは禁句といわれてますけど、確かに脳が疲弊しきった状態で同じ悩みをがんばってくどくど考え続けることは大きな間違いです。しかしこの間違いを認めて解脱することはがんばらないとできません。

考える内容を選ぶ、幸せになるため思考を節約して自分を守る

神経症の人は同じことについて延々と悩み続けることを特技としています。私も寝る前に悩むことがいつの間にか習慣となっていましたし悩みが深いとなかなか眠れませんでした。健康な人は悩むことそのものを避ける傾向にあるように思います。いつまでも悩んで苦しむことは嫌だからです。頭の切り替えが早い人は、くどくどと考えることは苦しいから、自分を守るために切り替えているのです。考えてもわからないことは考えない、これが健康な人の思考パターンですので元気になりたければ元気な人の思考を模倣する必要があります。

考えない方法は考えた内容が愚かな考えであったと心からわかり捨てることです。

アマゾンで「幸せになる勇気」というアドラーの本が人気があるようですが、私は内容をまったく読んだことはなくても、幸せになる勇気とは、まさに苦悩するパターンから脱却する勇気のことであると思います。

積極的に休む方法を習得する

このページをご覧のみなさまは、多くの眠れぬ夜をご経験なさっておられるでしょうから、その経験を参考にして、次は安定して休むことについて考えてみてください。

寝る前に休む練習をする

ベッドに入る前に、寝る準備のために体の力を抜く練習をします。この時間にパソコンやゲームをしないようにしましょう。せめてタブレットでくつろぐ程度で。明日のために、休むのですから、休む努力が必要です。寝る直前まで活動している人はベッドに入る2時間前には積極的に休む練習が必要です。6時起きの場合、お風呂に入るのは18時から20時の間くらいで早めに入ってゆっくり浸かったほうがお風呂上りに脱力する時間を作れます。

寝る前に何も考えない練習をする

悩み癖がついている人がまずやるべきことは寝る前に無になるトレーニングです。寝る前に考えるということは眠る気がないことと同じなのです。神経症の人は「寝よう」と思ってベッドに入って「起きている」ための思考を繰り返すので行動が矛盾いていることに気が付いていません(笑)私も同じで考えは「寝られない!」と腹を立てていたものでした。ほんとうにバカですね。眠る気があるなら無になるトレーニングをする時間に充てたほうがまだ建設的です。この訓練はどんな過酷な状況になったとしても眠って脳を回復させる訓練ですから、やってみようという気になりませんか?もう不安はこりごりと安心安全が大好きな私たちですから、幸せのためと思えば無になる苦労は厭わないでしょう。無になる方法はマインドフルネスや瞑想、禅などの本に載ってます。

定時に起きる

どんなに眠くても定時に置きます。体内時計のズレは仕方ありませんし、一か月して整ってくるまで我慢するしかありません。体内時計がぼーっとして敏感に感じられるうちは忍耐力が必要です。体内時計が合ってくると、次第にぼーっとしてだるい時間が短くなってきます。二度寝はいけません。健康な人は無理をして毎朝定時に起きているだけです。寝起きの幸福感にいつまでも浸っていては明日の幸せが減ってしまいます。幸せになるためには勇気を持って起き上がるしかないのです。部屋が寒い際に暖かい服に着替えて寝ておくと起き上がりやすいです。

定時に就寝し起床できるのは、まさに努力と修行の賜物であって自然にできることではないのです。

結論、左脳を上手に使って賢くなれ!

パニック発作、神経症の発作、不安と緊張は、完治した私の経験では、自分の心が神経症の症状を作り出していると断言できます。発作が起きてからは「~だったらどうしよう」という思考パターンで落ち込む癖が出来ていました。臆病で未熟な私だからこそ、怖いことがあって縮こまってしまい、そこから勇気をもって脱却できずにいたからこそ症状が出たのです。そして本当は人が好きなのに積極的になれない臆病さ、メディアが作り上げたニートだとかパラサイト、おひとりさまといった冷たい言葉に傷ついてしまう心の弱さが症状を作っている原因でした。しかしブッダのように健全に自分を知り愛する知識を得つつ悩み続けることによって左脳が開発され(笑)症状から解放されて10年が経ちました。まわりを見てみると、元気な人はニュースなどを見ず、いちいち一般という概念にとらわれずに女性であっても逞しく生きています。私は一部の他人に深く傷つけられ、テレビの流す情報にも真に受けすぎて傷ついていました。それは他人を疑わない素直な心があったからでした。心を守るために頭の感覚に敏感になり左脳を効果的に使っていなかったことも症状を作る原因になっていました。要は無駄な悩みにいかに気が付き捨てる能力を鍛えるかが、幸せになる道であるとわかります。

このページをお読みのみなさんは、既に悩むことが得意でしょう。その考える思考能力をどうか幸せになる努力のために使ってください!不要な心配から逃れるには幸せになる努力を続けるしかありません。

賢くなるとは、勉強ができるようになることではありません。幸せになることこそが賢くなる本当の意味なのです。
   

2017年2月22日水曜日

心をベストな状態に持っていく方法にルーティンがおすすめ!

   

心をベストな状態に持っていく方法

best mind set

社会人になると、自分の心の面倒は自分で見なければなりません。そのためには自分の心がベストな状態を把握し、心身の疲労や環境の影響、自分の考え癖によってどれだけ精神面に影響が出るかしっかりと認識する必要があります。このページでは社会人として不安の大海を生きるために必要な心の揺らぎを発見する方法を伝授したいと思います。

睡眠の質と体内時計のズレで翌日以降の疲労感に違いが出る法則!

まず一番わかりやすい心(頭)の不調に睡眠が不足して疲労感が翌日に出ることがよくあります。しっかり休めていないと体内時計もズレやすいです。うまく眠れなかった次の日は、体がだるかったり筋肉痛であったりして脳のパフォーマンスが低下した状態になります。このときの不快感から何でも悪く考えてしまうと自分でストレスを作ってしまい悪循環が発生します。「これは単に眠って休めていないから気分が悪い」のであってほかの物事のせいではないので余計な考えは妄想であり意味がないものであると捨てましょう。慢性的に睡眠時間が足りない人は疲れた時でも寝つきをよくするトレーニングが必要です。

性周期で攻撃的になる法則!

人は交尾に適した時期(排卵日や精巣の準備完了)になると自動で攻撃的になったり運動したくなり寝つきが悪くなります。これは子づくりの本能から生じていますので素直に認めて受け入れる以外にどうしようもありません。本能的に性の相性の悪い他人といるとストレスが溜まりハッスルしたくなるのは本能です。交尾に適した時期に入ったら親子や兄弟姉妹と近くにいることをやめてみましょう、不快になるのは当たり前です。

頭の反応に慣れる訓練

疲労で調子が悪いと頭が刺激に反応しやすくなっています。反応を思考に結びつけないようにする練習が必要です。うっかりすると刺激に対し誤反応の思考が形成されてしまいます。やるべきことが終わりほっと一息つくと、頭が重くなってきたリするでしょう。それは良い刺激ですが、勘違いすると落ち込み癖や悩み癖がついてしまいます。どっと疲れが出るのも、やるべきことをやったから疲れているのであって、勘違いしないようにしましょう。同じ内容でも同じことを考えるだけで頭に刺激を感じる時もあったりなかったりしますので誤解しないように。疲れて集中が切れると頭に血がのぼってきた感じは、休憩と回復を要する時間になっただけであり、悪い反応ではないので誤解しないように。不思議とあとちょっとで終わりだと思うと、まるで終わったかのように脳が休憩しはじめたりもしますが、それは自然現象であり悪いことではないのです。会社や学校に行きたくないと思い浮かべただけで脳はもっと休んで怠けようとするので、眠りたくなるのは悪いことではなく本能による自然現象ですので否定をせずそのまま受け入れてから、起き上がりましょう。

頭の筋肉の感覚に慣れよう2

頭の収縮するような感覚に固定で特定の思考を結びつけるのは誤解のもとですので訂正しましょう。

力んで鼻から息を出すと頭の前方の上あたりが緊張したような感覚がしませんか?眉間に皺を寄せるとおでこのあたりがだるくなるでしょう。口を横に結べば側頭筋が盛り上がります。

以下は毎度の私の法則(苦笑)

  • 寝転んでパソコンやタブレットを操作していると頭のてっぺんにコリを感じる。
  • 長時間パソコンをやり過ぎると寝る時には頭の前方の筋肉がズキュンキュンピクピクして眠れなくなる。この凝りすぎをほぐすには3時間はかかる。考えすぎ、悩み過ぎても同様になる。
  • パソコンを使って休みなく働くと側頭部や外耳や耳下腺や唾液腺やあごの下のリンパ腺に痛みや障害が生じやすい。ここまで来ると重症なので生活を変えなければいけません。
  • 上記の状態は不快なのでスラングを思い浮かべて頭痛→スラングという条件学習が強化される。→いちいち毒づかないように訓練し直すことで消去可能。(大体過激な人はこの条件学習が正しいと思い込んでいるので思考がどんどん過激になっていく。例えば差別される人を見た時に頭がズキュンとなったらそれを自動でイライラすると判断しスラング発生、そして差別が強化、正当化される。怖がりの人はその場面で頭がズキュンとなったら不安・怖いと判断し避けるようになり差別が強化される。優しい人はその場面を見て頭がズキュンとなったらかわいそうだと判断し援助行動をとる。正しい人は単に頭の筋肉が動いただけと思うので冷静でいられる。それをストレスと思うかどうかは要は頭に発生した感覚の解釈の違いの問題。)
このように頭に生じる筋肉の締まりや血が通う感覚は思考内容とは関連がありません。

頭の筋肉が疲れて痛くなりそうになったら姿勢を変えましょう。

頭の凝りをほぐそう

疲れたら、頭が感じるようになったら、姿勢を変えて頭の筋肉をほぐして血流をよくしましょう。同じ姿勢で長時間パソコンなどをしていると病気になりますので、唾液腺や目や耳の健康のためにも、同じ姿勢のまま固まらないようにしましょう。仕事や遊びに夢中になっていると、ついつい、固まってしまいますけど、1時間に10分の休憩は必要です。

長時間同じ姿勢を続けると、心拍数が上がるのは当然です。

それはパソコンでの仕事でも同じで長時間固まっていると心拍数が上がってなかなかドキドキが鎮まらなくて夜眠れなくなるものです。パソコンに限らず同じ姿勢や作業を繰り返すと疲労が蓄積されて眠るときに緊張を解除しづらくなり眠り難くなります。


心の凝りをほぐそう

いつの間にか同じ悩みを繰り返してはいませんか?何度ぐるぐる思考のループをしても結論がでないのはそれは悩む必要がない無駄な思考ですので捨てるのです。卒業するといってもよいでしょう。卒業してひとつ成長することを楽しみや喜びとするのです。考える必要のない時間に無理に何かを考えようとするから思考がループするときもあります。思考のループは限りある脳の無駄遣いです。ほんとうは悩む必要がないので、無駄に命のエネルギーを消費しないようにしましょう。命は有限ですから、つまらないことに命を削る必要はありません。私たちは本気で考えたくないことを考えないようにすることが可能な生き物です。たとえば四六時中自分の体型やシワのことを考えたりしないでしょう。考えたくないことは考えないようにできるのです。どうしても暇だというなら「ありがとうと感謝する事」を思い浮かべてみてはどうでしょうか。これなら事実ですから無駄な考えではありません。心配するくらいなら、そうならないように神仏にお祈りしたり、心配事の裏に隠されている本当のポジティブな気持ちを探ってみましょう。嫌われたくない気持ち(人に認められたい気持ち)が緊張や孤独を生んでいたり、ほんとうは他人を必要としている自分を発見したり、不安で後ろ向きの心は裏返せばポジティブな願いを持っており、人が好きだからこそ恥をかきたくない気持ちが強いのだとわかります。あるいは常に正しく正気でありたいという欲望の強さはすなわち意思の強さでもありますので、それ以上くよくよと思い悩む必要はありません。

悩み上手になり不安と緊張をわが物にする

やはり上手な悩み方というものがあります。思考のループから脱却するのです。

例えば社会的場面で緊張すると「どうにかなってしまいそう」と不安を抱くことがあります。しかし緊張して逃げ出したくなる感情は観察してみると90秒ほどで終わります。恐怖心の強い人は死ぬのではないかというくらいの恐怖を感じますけど、はっきりいって、神経症の緊張発作ではドキドキしても死にません。緊張して気でも失ったほうがラクですが、そうならないのは、そこまであなたが弱くないからです。つまり正気でいたい、恥をかきたくないという願望が焦りと恐怖を生じ、発作になるのです。誰でも人は社会的場面で緊張しますけど、緊張すること自体への不安と恐怖心の強さが発作を起こしているのです。つまりパニック発作は脳が疲労した状態でいつもより敏感になっている状態でその場所に行ったために酸素が薄い感じや呼吸が浅くなってる状態を感知してしまい呼吸困難となりさらに慌てますからこのまま死ぬのではないかと脳が誤反応した恐怖反応(エラー)の連鎖です。私もずいぶんと昔にそうだったのでこの大いなる誤反応の原因はまったくの自分の認識の誤解で間違いありません。当時の私は反抗期の終わりでしたから社会への信頼よりも恐怖のほうが強かったし過去への執着を手放すことも知らなかったので、愛や許しや安らぎという感情があることすら感じていてもはっきりと認識して大事にしていなかったので無理もありません。

振り込み詐欺がなくならないのと一緒で、脳は誤解するのです。

頭を高速回転して心配して緊張したってめちゃくちゃ変になることは絶対にないし、心の中はパニクってもその場所から逃げないようにしましょう。はじめは怖くても、我慢してるとカーッとした興奮はしばらくすると収まってきます。むしろその頭が真っ白になった感覚が気持ちいいし真っ白になったから余計なことを考えなくていいと思えばしめたものです(笑)緊張でがちがちになってる人を見て馬鹿にする人は少数派でしょうからもっと周りの人を信じてみてはどうでしょう。

要は学習して自分のものにするのです、不安も緊張も自分の感情ですから。快楽や喜びというおいしいところだけ受け入れて、自分の都合の悪い感情(苦しみ、不安・緊張、怒り)をいつまでも拒絶するのは、健康上あまりよろしくないと思います。

つまり、ベストな精神状態とは、認めたくない気持ちも事実として受け入れたうえで冷静でいられる中庸な心の状態だといえましょう。すぐにはそんな悟りは開けませんが、そこに近づこうとしているときがよい状態で、逃げようとしているときがよくない状態だといえます。

不安やくよくよの裏に隠された真の意味は明るい

くよくよしていると他人から「暗い」「嫌だ」と冷徹な言葉を浴びせられ嫌われるのがオチです。もちろん自分でも落ち込んで暗いのは嫌というほどわかっています。でもそこから脱する方法がわからないから落ち込んでいるのであり、ここは救いの手を差し伸べてもらわないと自力で脱することは最初は難しいでしょう。

なんでこんな事に悩んでいるのか、について自分で気づく方法は、悩み事の真の意味を探ると意外と浮き上がりやすくなります。

朝起きられない(くよくよ)→朝起きる能力を身に着けたい!→そのためには無理に起きるしかない!→嫌でも起きてみよう!(やる気)→寝つきやすい日とそうでない日がある(事実の発見の繰り返し)

たとえば、朝起きられない問題を取り上げると、くよくよ悩むよりも、実践を続けて事実を発見し経験を積むほうが技能を習得しやすくなります。何かの能力を身に着けようと思うと努力が必要です。それは睡眠についても同じです。よく眠れている人はそれだけ定時に起きる努力をしてきたから眠る技術が身についているのです。悩みを解決するには経験の積み重ねが効果的です。はじめは人との接し方がわからなくて当然であり、経験を積めば慣れるものなのです。確かに一度怖い目に遭ってしまうと二度目から同じシチュエーションを避けようとしてしまいます。初回の恐怖の度合いによってはパニック発作が出る場合もあるでしょう。しかし、勉強でも仕事でも何でもやらなければ乗り越えられません。一生避け続けるわけにはいかないのです。どこかで勇気を持って克服する必要があるのです。早いほうがよいに決まっています。寂しさという感情だって泣いたら終わりで、はじめは赤子のごとく極端な感情にも次第に慣れるものです。悲しみだっていつまでもくどくどと対象に執着し依存するからいつまでたっても悲しいのです。亡くなった相手はそのようなことを望んでいないのであれば、もう悲しみ続けることは愛ではないのです。存命の相手ならばいつまでも思われているのはかなりの迷惑でしょうから愛が深くても終わりとし自分の幸福のためにも手放すべきです。いつまでも手に入らぬ者の夢を見続けるのは愛ではなく執着なのです。愛した人と一生一緒にいられる場合なんて稀です。恋愛の末に結婚するだけの人ばかりではありませんし、冷めることだって離婚することすらあり得ます。孤独は覚悟しなければなりませんので孤独は最終的に受け入れるしかありません。

前向きになるには実践と能力の獲得を

確かにくよくよ、びくびくして悩んでいる間は暗いですが、何とかしようともがいて乗り越えれば明るくなれるのです。人生の悩みを乗り越えた数だけ人は経験を積んで自分を知っていますので、落ち着いていられるのです。悩むことをおそれないで、乗り越えることに勇気を出して、先哲の助け船を得つつも知恵を蓄えていきましょう。

就寝時ルーティンのすすめ

毎日、一定時刻にベッドに入り、必ず一定の時刻の間に起床することを習慣づけると、脳の状態を観察しやすくなります。起床後、どれだけ疲れが残っているかは、脳の疲労の指標となります。寝る前に好きな落語を毎日かけることもルーティンとしておすすめです。日記は起床時に書くと、だんだん脳が目覚めてくるのを感じます。といういうことは、寝る前に日記を書くこと、つまり自分の頭で考えることは逆に頭が冴えて眠りの邪魔になるということなんです。だから寝るときにベッドで悩んだり考えると寝つきが悪くなるのは当たり前で睡眠時間が短くなり翌日にも脳に疲れが残るのです。そうなんです、つまり寝る前に思考しないことが極めて重要であり、寝る時に考えない技術を身に着けることが生きていくうえでも必須のスキルとなっているのです。

ルーティンの例

私が実践しているルーティンを紹介したいと思います。

寝る二時間前に夕食を終える→寝る一時間前にお風呂に入る→布団に入る→信仰する神仏に祈る→ルーティン用の音を鳴らすか本を読む→無になる訓練→寝る→途中で起きても寝る→定時に起きる→枕元で文字を書くかネットサーフィンして目を覚ます→同じ朝食を食べる・・・

これで眠りやすくなるかというと、そうではなく、起きやすくなるだけです。眠りやすくするためには頭や体の筋肉をほぐさないと、気持ちもくよくよモードから脱していないとやっぱり寝つきは悪くなります。ですので落ち込みから早く立ち直る能力を磨くこと、脱力して無になる瞑想じみた眠り方の技術を習得することが必要であると思います。

悩むより無になる訓練をしつつ眠ったほうが建設的であることは言うまでもありませんし、多くの人が自分なりのルーティンを持っています。
   

病気で入院すると落ち込む人と平気な人と攻撃的な人の三種類の反応がある

   

病気になったら落ち込まない人と落ち込む人、攻撃的になる人とに分かれる

病気と性格

私は家族が病気で入院することになり、毎日お世話(お見舞い)をしに通っていると病院の風景がいろいろと見えてきました。同じ病気になっても、まったくケロリとしており落ち込まずにしっかりしている人と、落ち込んで元気がない人、もともと攻撃的な性格でそのまま病院でも攻撃的に振る舞っている人がいることに気が付きました。もちろん別のタイプの人もいますけど、今回興味が湧きましたので観察してみることにしました。一応、大学で専攻していた臨床心理学的な観察に基づいています。

病気になり入院して落ち込んで元気なく振る舞うタイプ

まさに私の家族がこのタイプで、普段は家では攻撃的で強気と弱気が混ざっており感情のまま振る舞っていました。基本的に気が小さいので病室という社会的に劣性の場面では非常に大人しく元気がないように演じていて、大人しい振りをすることで無駄なエネルギーを消費しないようにしています。医者の前でも本当の病状を言わないことがあるので要注意です。いわゆる抑うつ状態であるともいえますが、うつ病というわけではなく、弱気になり元気を出すことを控えて大人しくしている状態です。安心したり慢心すれば大きく振る舞えるタイプです。甘えが強いといえましょう。この性格タイプはストレスに対し敏感でネガティブな反応をしてしまいがちですが、自信のあるジャンルでは我を忘れて活躍しやすい特徴があるといえるので専門的な仕事が似合っていると思います。しかし我を忘れるという特徴が疲労を管理することを忘れてしまい残業やIT土方といった脳を酷使する仕事には向いてないかもしれません。文科系であるといえましょう。頭の回転が速い分、余計なことを考えやすいので、よく「できない」「ダメだ」という根拠のない不安を抱いたりしますので無意味な妄想を否定して元気を出す必要があります。このタイプではカリスマを発揮する経営者もいますが雑念も多いので瞑想が欠かせません。基本的に甘えん坊なのでカウンセリングでたっぷりと心ゆくまで慰めてもらうことが必要なタイプです。

心理の本質は、悩んでいる内容に囚われるあまり本当の気持ち(欲望)に気づいていないタイプで、高い攻撃性(=元気のもと)を封じ込めているため神経症になりやすいです。本心に気づきにくいので脳の疲労にも気づきにくく、働き過ぎて鬱になったり神経症になって緊張を恐れるタイプです。

しかしいったん自分の本心を勇気を持って認めて対応することで能力を発揮する可能性を秘めています。

得意分野では不安が少ないため慢心して攻撃的に振る舞い慢心という墓穴を掘り人間関係が破たんすることもしばしばです。

このタイプの性格の有名人にはブッダをはじめ、オバマ大統領やスティーブジョブズ、政治家の安倍晋三さん、イチローさん、浅田真央さん、高橋大輔さんなどが挙げられます。アニメではエヴァンゲリオンの碇シンジや葛城ミサト、ダイの大冒険のポップ、ガンダムのアムロがこのタイプの性格です。

要は攻撃性(元気のもと)を封じ込めることが癖(習慣)となっており適切に発散させることに人生で苦労しており、自分の欲望に気づけるよう賢くなるまでは能力が発揮しづらく愚かだと言わざるを得ません。

昔から恐怖で元気のもとになる感情を抑圧してきたので、カウンセリングや仏教の教えを学ぶと最も効果を発揮するタイプの人です。

このタイプの性格の人を親に持つと、子どもも神経質になりやすい反面、知性が高く学習能力に長けた人物になりやすいと思います。抑圧の度合いが強いといじめられやすく傷つきやすいといえましょう。もしも子供が自分の気持ちを抑圧して無自覚になっていたら早めに教えて解脱させ悩みのループに入らない術を教える必要があります。無自覚に育ってしまうといつまでも他人の悪口を延々とで言い続ける人間になることもあります。

この性格のタイプは苦しみを認めて対応する能力が開発されることがあるため他人の苦しみへの理解と共感力が育っている人も多くよく気が利くのでまさに人類の面倒を見る保護者や救済者の役割または暴走を助長する役割を果たしているといっても過言ではないでしょう。仏教とも相性が良いです。以下に述べる二タイプの人類の暴走を抑制する役割を担ってきたといえましょう。文人や策士を輩出したのもこのタイプの性格ではないかと思います。特に善の思想について発展させてきたのもこのタイプの性格の人類ではないかと思います。だからこそ悪いと思った気持ちを抑圧しやすいといえましょう。弱気もあるので脅されると暴走することもあります。

有名人ではガンダムのブライトがこの性格に近いのではないかと思います。

気持ちに無自覚なうちは自分へのストレスの発生源となりやすい性格です。

病気になり入院しても冷静でしっかり振る舞うタイプ

同じ病気で入院して体が少々不自由になっても、元気にはきはきと振る舞い、しっかり者を無意識に演じる自立心旺盛なタイプです。私の家族よりも随分年上のご老人でお体も不自由なんですが、かなり立派に振る舞っています。車椅子に乗りしっかりと利き足を地面で蹴って漕ぐのも速いです。そして介護サービスの利用も前向きに積極的に受け入れており、落ち込んでいる様子はなく甘えなどもなく、苦を受け入れ現実的で精神的にも健康です。昔から自営業で何でも自分でやってきたタイプらしく、立派な人だなぁと尊敬します。体育会系であることは間違いありません。頭脳を使う仕事以外ならどんな仕事にも適応するタイプといえましょう。知性は低いですが、生きる知恵の完成度が高いタイプであり、ほんとうの意味で賢いといえましょう。人生で最も楽に生きられるタイプです。自己を保身するためには家族を傷つけることすら無意識でやってのけるタイプなので、この親を持つと心や知性が育ちにくいです。いじめられても気にしないので、結果としていじめられにくいタイプです。

この性格のタイプは心の健康の心配をする必要はありませんが、基本的に心配しない性格が深刻な病気を見逃すことがあり心配性の人が食生活や体の健康の心配をしてあげる必要があります。

このタイプの性格の有名人は黒柳徹子さんや松岡修三さん、織田信成さん、麻生太郎さんが挙げられます。はじめから解脱しているので深い信仰は必要ありません。いろんな欲望を祈る習慣があるため神道と相性が良いように思います。「心の問題?何それ」と苦しむことを知らないので明治以降の政治で一役買って来たのもこのタイプではないかと思います。自衛隊や警察といった職業にも適応した日本の軍隊をけん引してきた性格で自分の保身以外は何も考えず悪さもできるタイプす。あるいは勇気をもって悪いことはダメと言えるのもこのタイプであり、根っからの勇者ともいえます。

なぜ恨まれてるのかも基本的に理解できないのでストレスを受けにくくたいへん得をするタイプの性格です。

他人へのストレスの発生源となりやすい性格です。

入院して(?)攻撃的なタイプ

病棟にいると、時折患者様の怒号が聞こえてくるのです。もういい歳のいじわるおばあさんやおじさんだったりします。世間体というものを一切無視できる勇気は素晴らしいものですが、怒りの強さが尋常ではありません。心の中味まではわかりませんが、常に欲望による苦しみを怒りで表現してきた人なんじゃないかと思います。いわゆる周囲の人々を不幸にするタイプなので、巻き込まれる可能性があり関わりたくないなと思います。きっと苦しみも尽きないでしょうし、つらい生き方ですね。何らかの原因で理性が失われているのかもしれません。攻撃性の高い人は何も悪い印象だけではなく、社交的でおしゃべり好きで積極的で自分のことを話してスッキリしたいために相手にまず質問したり話しかけてから自分のことをしゃべりまくるという特徴がありました。ある意味フィフティフィフティにしようと努力はしているものの、それはあくまで自分のためなのです。いわゆる仲間や子分と認識した人に対しては非常にフレンドリーで人と人との結びつきを行う役割を果たしているのです(笑)だから民間企業では積極的なので攻撃性の高い人は営業面や対人戦略で重宝されるのではないでしょうか。間違っても事務や人事などのバックヤードに立たせてはいけない人材であるといえましょう。いわゆる人望の無いタイプですが同類が多いので支持も40%くらいはあると思います。突撃部隊が好きなんじゃないかな。病識がない人もあり、病気になって何が良くなかったかという認識がなく、欲望が何よりも優先されるので自分に都合の悪い食べ過ぎなどの事実を認めない傾向にありました。このタイプの性格の有名人はトランプ大統領やナポレオンボナパルト、羽生弦さん(たぶん)が挙げられ社会的場面では常にブースターをオンにした状態で行動しているため周囲は脳がついていけなくなり疲弊します。

映画ではこのタイプの性格のキャラは悪役となることが多いです。アニメではエヴァンゲリオンのアスカやガンダムのシャアがこのタイプに近いのではないかと思います。

このタイプの性格の人を親にもつと、見栄っ張りやいじめっこが育ちやすいかもしれません。無自覚に育ってしまうといつまでも他人の悪口を延々とで言い続ける人間になることもあります。興奮して眠れなかったり、基本が興奮しているので睡眠時間そのものが短く心臓や血管系の病気や長年無自覚に蓄積された脳の疲労に気を配る必要があると思います。細かい策には無関心で大砲をぶっ放すタイプといえましょう。

もともと信仰の本当の意味の理解が薄いタイプが多く一家伝来の宗教をそのまま教えを強く信じるタイプであるかもしれません。古来より領地の拡大などに一役買って来たのかもしれませんが傷つけたぶんだけ、逆にやりすぎてやられるタイプともいえましょう。

心理学では昔言われたタイプA行動パターンなどと呼ばれ自他へのストレスの発生源となりやすい性格です。

結論

病院にはいろんな人が住んでいます。どんなタイプと一括りにすることはできませんが、私が見た中だけで言うと、病気と苦しみへの反応でも「冷静で平常心」でいられる人もいるという事実がわかりました。病気になって苦しみ続けるのか平常心でいるのかについては突然病気になったショックの度合いもありますけど、甘えや自立心、攻撃性などの心の状態には誰でも共通する特徴があり、現実をありのままに受け入れる度合いによって反応も異なることがわかりました。どの性格タイプにも良いところがありますので、偏った性格を見直すため、他のタイプの良いところを参考にしてみてはどうでしょうか。
   

ダイエット(減量)は炭水化物を減らせば痩せられる

   

健康のためのダイエット(減量)は炭水化物を減らす方法が最も成功しやすい

ダイエットしなくても生活習慣の変化で痩せた

私は適性体重が57kgのところ、85kgくらいあったデブです。運動して72kgまで痩せたものの、あと10kgのところで長時間の有酸素運動をやめたらまたリバウンドして元通り。それもそのはず、食事が毎日炭水化物におかずが炭水化物だから。家族が毎日料理しているのだからこの生活はどうにもなりませんでした。しかし、その炭水化物大好きな親がとうとう脳卒中になってしまいました。これは食生活から生じたまさに自業自得。食事の誘惑を断てなかった私もまた自業自得です。

家族の脳卒中入院で生活が変わったらズボンが緩くなった!

家族が脳卒中で入院したら、私が洗濯と料理と掃除をすることになり、慣れない家事で大きく痩せました。まだ体重は測ってないけどズボンの胴回りに両手が入るくらいです。それまではおなかがピチピチのボヨンボヨンだったのに。

それもそのはず、私まで落ち込んで悩んでしまい、親が死ぬまで早く大人にならねば!と焦るんですよ。別に親は死にはしなかったのですが、今回はそう思わせられてものすごい孤独感などを超短期間で克服することに毎日脳をフル回転させて悟りを開きまくって葛藤したり学習してかなりの精神力を費やしました。

慣れない家事、買い物から料理洗濯掃除に毎日体が疲労と筋肉痛でした。しばらくして筋肉や体力がついたのか、疲労はなくなったけど、おかげで激やせしちゃいました。

私が激痩せしたメニューとは

激やせした間の朝食はバナナ小1本とヨーグルト1個と牛乳、とビタミンCのジュース(キレートレモン)、気が向けばロールパンかごはん。といった感じで最初は無理やり食べてカロリーを取っていました。生きのびるための最低限の行動モードです。昼食はコンビニの500kcalの弁当。コンビニ弁当はカロリーがわかっているので調節しやすく、炭水化物が多すぎる場合は半分残しました。夜は納豆とタンパク質中心の肉か魚のボイル・茹で料理と葉物またはニンジン、しっかり寝るために牛乳。

一部で炭水化物を減らせばストレスに強くなるという迷信があるようですが、私の場合、特に脳の変化はなかったです。おそらく思考の材料である糖が減ると頭も考えにくくなりその分脳が疲労しないとでも勘違いしたのでしょうがそんなことはなかったです。

バナナは本当に便利で1房100円で5本入りの小さなものがおすすめです。牛乳とヨーグルトと合わせると大体50gくらいの炭水化物は摂れているのではないでしょうか。ロールパン1個を入れると70g、ちょっとカロリーオーバーかもしれませんが夜に炭水化物を減らすなら朝のロールパンもありでしょう。

総カロリーは感覚では1000~1200kclくらいだと思います。栄養バランスからいって死にはしないでしょう。


食べないほうがよい食品

健康でい続けるには、脳卒中になった人が食べ続けていた物や薬の常用やお酒を毎日飲む習慣をやめなければいけません。まずはインスタント麺です。私の家族はインスタントラーメンやインスタント焼きそばを毎日食べ続けて酒も毎日飲み鎮痛剤を酒と一緒に飲んで脳卒中になりました。高血圧からくる頭痛であるという病識はなく、入院するまでこの習慣をやめませんでした。塩味のおかき、おせんべいやイカのつまみやフライドポテトも常備して好んでいました。揚げ物の頻度も高く、塩分摂取量は毎日20g近くはあったのではないでしょうか。炭水化物も毎日300gほどはあったのかなと思ってます。そしてタンパク質の摂取量は低かったです。塩分は1日3g~6gあれば十分らしいです。40歳を過ぎたら運動量に応じて食事量を減らして塩分量を控える必要があると思います。

肥満の裏に不安

私の場合、肥満の背景にはストレスと現実逃避がありました。食べている時が一番幸せで家族も喜んでいるので、病気になるリスクをすっかり忘れて食事の快楽に溺れていました。糖質やおいしい物を食べると何とも言えない快楽に満たされるのです。カレーライスやしょっぱい魚や肉の醤油と甘味を加えた炒め物などのご飯がすすむおかずはご飯をたくさん食べたくなります。ケチャップ味のスパゲッティやポテチもおかきも超大好きでした。その割にタンパク質は家族に買ってもらえなかったので摂取量は少なかったです。食生活のすべてが子供時代から狂っており幼少は普通体型でも元気が出ないものですからストレスに対して脆弱で筋肉がありませんでした。うちの親は肉や魚は貴重品でありなかなか買ってこなかったので子供時代は貧血気味で元気がなかったので精神的にもスタミナ切れで弱かったです。家庭の品質は貧しく低レベルであったことは事実でしたので、私の若い時分は随分このことで、形成された自分の浅はかさに思い悩み苦しみました。

食事の内容は人生を左右することはまぎれもない真実でした。

思えば自炊している時が一番痩せやすかったです。体の栄養も、心の栄養も、昭和や平成時代のように無視することは病気に直結しますので自力で学ぶ必要がありました。しかし学校教育では本当に必要な実用的なことは教えてくれませんでした。私の子供時代には心の教育など0でしたから、いじめもなかったことにされたり、教師は恐怖心を植えつけることが第一で、愛の何たるかを知るには愛をもって教育する教師に出会うまではわかりもしなかったですが1人しかいなかったです。1/12の確率なら良い方なのかもしれませんが、その後はすっかり愛することを忘れていましたし、自分の健康にも健全な愛が必要などと思いもしませんでした。やはり子供時代に心身の栄養を得る術を習得しておかなかったことは、人生でかなり不利でした。

高校生のときからダイエットに挑戦しては体重を増やしてきました。思えば高校生のときは5kg減らすだけでよかったのですが、それが成人以降は10kg、そして25kg減らさなければいけないまでになっていました。コンプレックスも相当なもので、鏡で自分を見るのが嫌でした。自力で太ったのですから自業自得です。劣等感が大きくなると不安も大きくなり、自分でどれだけ食べる量を減らせばよいのかまったく自信がなく、ごはんを減らすとイライラしていました。つまり私の心の根底には不安の心があったのです。この不安を捨てるには、勇気が必要でした。炭水化物を100g程度に減らしても死にはしないという確信を持つ必要がありました。この不安で弱い心を克服しないと、ダイエットは成功しないといえましょう。そうなんです、私は自分で「炭水化物を減らすと健康を害するかもしれない」という考えを妄想であると心配事は無意味であると捨てて安心する必要があったのです。

ダイエットを成功させるには「食べないと」という不安と欲望(妄想)を捨てる必要がありました。「少々炭水化物を減らしても大丈夫」「タンパク質とビタミンをとっていれば炭水化物を100gにしても死にはしない」という考えや「食べ過ぎ」「食べたい欲求を我慢できないイライラは欲望であり本当に空腹なのではない」「痩せたら呼吸が楽になる」「体重を減らさないと血管や骨などの病気のリスクがある」ということを事実として認める勇気が必要でした。現実のストレスに比べれば、こんなに小さいストレスすら今まで克服できなかったのですから、私がどれほどストレスに弱いかは言うまでもありませんでした。ストレスに弱い私は最終的に「適性体重になることが幸せへの道である」ということを認めて肥満と決別することにしました。

結論

どうやら、減量して健康的に痩せるためには炭水化物の量を半分ほどに減らせばよいと今回学習しました。私であれば200gの炭水化物が必要なところ、100g~150gにして家事をするだけで激やせしました。私も親の遺伝子を受け継いでいるので高血圧と脳卒中にならないためにも家族みんなで体脂肪を減らしましょう。ダイエットのネタはさんざん出尽くしていますけど、食事の量を減らし運動量を増やすしか道はありません。これは事実であり、永久不滅の真実であると思います。スポーツジムで運動だけしていつも通り食べていても、運動をやめたら食べる量も同じですから当然リバウンドします。食欲という極めて強い欲望がダイエットを困難にしているのです。食べすぎであることを素直に認め、炭水化物の量を減らしましょう。タンパク質類や野菜類の量はいつも通りで大丈夫です。太るタイプの人の頭の感じ方はおなかいっぱい=食べ過ぎなので、理性でわかるしかないです。体重が多いと高血圧の原因となりやすく、塩分も多いものを好みますので家族は脳卒中になりました。長生きしたければ50を過ぎたら減塩・減量して痩せたほうがよいと思います。理性を失っている状態では幸せ過ぎても我を忘れて快楽と怠惰に溺れ太りやすいといえました。冷静に自分の欲望と現実を観察する能力がダイエットの成否を左右するといっても過言ではありません。将来病気で介護が必要になったり働けなくなるリスクを思えば肥満は減量しして脂肪を減らし、減塩したほうがよいと思います。適性体重を維持できる精神力を養う修行こそが人生の喜びのひとつであり楽しみであると思えば苦も楽になるはずです。いつまでも食事に逃避していると、大事なことを見失ってしまいます。
   

2017年2月21日火曜日

誤った思考や価値観を訂正してストレスや不安に強くなる方法

   

ストレスや不安に強くなる方法がわかった!

人間にとって、ストレスによる不安(緊張)やうつ(落ち込み)ほどつらいものはありません。不安やうつになると心が苦しいです。今回は物事に対する認識や考え変えて心がラクになる方法を思いつきましたので教えたいと思います。

考えを変えなければいけない時期が人生に何度もある

長いようで短い人生、未熟で苦しみが深い人は考え方を変えて善く生きたいと強く願う時期が何度も訪れます。今までの価値観は誤りであったと素直に認めざるを得ないのです。


幼少~子供時代の認知の変容

幼児の頃は「快」で喜び「不快」で泣くということを繰り返してきました。人間の基本は大人になっても同じで快楽をよしとし不快をダメな物として認識しやすい傾向はなかなか治りません。しかし社会に出れば快楽にふけることがよしとはされず、時には不快を拒絶するわけにもいきません。ここに脳の矛盾が生じ苦が生まれます。大人になれば快で笑い苦で泣くわけにはいかないからです。

こども時代は母や父など大人が見守る中で不快を減らす経験を積んでいきます。おむつの中で排泄をした不快を消すには泣いて保護者を呼ぶか自分で排泄するしかありません。うまく排泄できたらお母さんたちが喜んでくれて不快もなくなりますので自分でトイレができるように学習するのです。

この世のあらゆる物を認識していく段階です。母、父、おじいちゃん、おばあちゃん・・・寝る、食べる、おもちゃ、部屋、お布団、空・・・などなど。この段階で悪い意味付けを行うことがどれだけ生きづらさとなるか想像も易いでしょう。たとえば父が不倫していて、その場面にあった物事、たとえば母親が泣いていた、父が暴れていたなどのことを子供が不安の対象と認識して家庭は安心できずつらいものと思ってしまうことだってあり得るのです。あるいは他人の悪口ばかり言ってる親など、子どもの価値観への悪影響は間違いないでしょう。

わがままを言って泣いたら父母など身近な大人に叱られたことはないでしょうか。今はどうか知りませんが日本では「わがままは叱る対象」ということが当たり前であったので単純に「意思表示すること=ダメなこと」と学習している人も多いのではないでしょうか。今の教育は適切に意思表示することが求められていますので、意思表示できなければ公務や貧しい仕事では通用しても民間の会社で通用しません。わがままを叱る教育方法だけでなく我慢したほうがよいときは我慢し必要であれば自分の考えを述べることもできる教育がこの段階で必要となるようです。

学校時代の認知の変容

学校といえば友達。友達はいいものだ、一緒に過ごすと楽しいから必要なのだという価値観がないと学校生活は苦になります。一人=悪い事という価値観がありますので一人になると苦しむのもこの時期の認識の特徴です。勉強できない=悪い事という価値観も植えつけられてしまう子供もいますが中学校までの成績の良し悪しは難関大学に行くのでなければどうでもよいことです。ここで自ら友達を作る能力がないと、苦しんで落ちこぼれていきます。後から友達になっておけばよかったと後悔する前に、友達を作る方法や勇気をもってクラスメイトに話しかける方法を親はしっかりと教えておくべきです。自分から人に話しかける能力は学校生活や社会生活を営む上で必須で当たり前で絶対に必要なことだからです。大人になってしまえば他人に話しかけることについて何ら勇気も必要もないことですが、子供のうちは勇気が必要です。自然に群れている時には気が付きませんけど、いったん孤立してしまうとびびって傷ついて挫折するほど怖くなるのがこの時期です。そしてそんな自分はおかしいのだろうかと思い悩みはじめます。子供が自分で友達づくりという課題を乗り越えるには子どもの小さな心では耐えがたい苦しみとなりますので、知識や経験がありませんので保護者の励脚や助言が必要となってきます。大人になってからも自然に群れているときにはまったく何とも思ってなくても、集団の中でひとりになってしまうと「あれっ」と寂しく思ってしまいますので積極的に他人の群れに加わる努力が必要です。

群れに加わる技術の習得は人生で必須のスキルであり群れの中にいても傷つきは避けられません。

たいていの場合、世代ごとの小さな群れ、あるいは緊密な関係での小さな群れに属します。もちろん群れの中身はそれぞれです。組織に属することが終わるとこの群れの縁は解消されることが多いです。長く関係を続けるには、共通の目的を持った仲間である必要があります。大人の人間関係が長く続き難いのは、同じ利益を享受できるかどうかが縁の切れ目となっているからです。

この家庭と学校の群れで、わたしたちはいくつかの文化と認知を習得します。方言や社会での認知の仕方、仲良くする方法など。未熟な群れに属すると、当然未熟なままです。意識高い系の高度な群れに属しても社会の底辺から出た子供は内容についていけず落ちこぼれることがあります。

10代のうちにどれだけ心が豊かになる経験をしたかでその後の人生に差が生まれます。


社会人以降の認知の変容

この文章の意味がわかっている人はある程度の教養がおありだと思いますので私のレベルで説明したいと思います。20代の頃ですが、この年齢で能動的に悟りを開いている人はビジネスに成功しやすいと思いますが、たいていの人は悟りが少ないはずです。教養や悟りのレベルに大きな差が開いているのが20代です。20代といえば自分の所得でショッピングや娯楽、大人がしているあらゆることを模倣して楽しむ年齢です。残念なことに、遊んでいるだけであっという間に20代が終わってしまいます。そして私たちはもう大人ですから自分に何が不足しているかについては自分でわかる年齢がまさに20代です。焦る20代、大抵の人は資格の試験勉強など、実務関連の勉強を最重要視して仕事と勉学と社会人としての経験に励みます。向学心が強いと恋愛している暇はありませんが、恋愛のアンテナを張っている人は結婚を考える年齢です。豊かな家庭で育った人は親の支援のもとさまざまな熟に通って20代で安定した職に就き結婚しやすい傾向にあります。一方で貧乏あるいは倹約してきた家庭で育った若者は過酷な試練に立ち向かい、この段階で婚期を逃してしまいます。

20代の方に言っておきたいのは、くれぐれも以下に述べる罠にはまらないようにしてください。「自分探し」「ほんとうの自分」「アイデンティティ」「自分とは」といった他人が作った流行に乗らないことです。これらを追求することは実に無意味で意味のないことなので、大切な時間をかけないようにしてください。そんなことよりも「恋人探し」「仕事探し」のほうがよほど有意義です。会社はあなたに自分の定義を言わせたがるかもしれませんけど、適当に都合よく聞こえのよい嘘を言っておく程度のものにしましょう。嘘が上手に使えることも商売では必要スキルです。終わった恋や人間関係は手放すことで幸せになれます。組織はあなたに人生のすべてを捧げさせたがりますが、それもまた方便(嘘)で無意味なことであり、所詮は金の切れ目が縁の切れ目です、調子よく演じるだけにして家庭を第一と考え組織に心まで依存しないようにしましょう。

スルーする能力を養い相手(上司など)の挑発に乗らず、売られた喧嘩は買わないことが幸せになる方法です。相手がどんなに偉くても怒ったり挑発することは心が幼稚であることに違いはありません。挑発に乗らない限り、あなたは既に勝っており、相手は攻撃的になった時点ではじめから負けているのです。幸せのあために出会わないほうがよい人間との関係は涼しく乗り切りましょう。攻撃的な人への対応は相手の言っていることを受け止めてそのまま言い返すオウム返しが有効です。

30代もまだまだ精神的に未熟ですが、その後のことを考えた行動をとる年齢に達してきます。そして責任を感じるのがこの年代です。自分の行動や考え、認識の仕方すべてに責任を負っており、これまでの親などから譲り受けた認知の誤りの変更を迫られるのもこの年代です。もちろんまったく気づかずに過ごされる無意識系の方も多数いらっいます。さまざまな自分の価値観が誤っていることに気が付きがっかりきますので30代の独身はたいへん凹みやすいです。お釈迦様は29歳で出家しましたので、30代で悟りに励むのには遅くはありません。

30代、特に独身は社会や隣人は自分にとって生涯必要なものであると同時に怖いものであるということを学びます。結婚や子供は生きる目的となる大事なことであり、孤独から逃れる方法であることも思い知ります。そして親の死は避けられぬ、そしてもうすぐそこに迫っている事実であり、精神的な自立を急ぐ必要があるのもこのあたりの年齢の人の特徴です。20代で結婚しなかった人の中には自分の心の未熟さを痛いほど自覚しており心の成熟を目指して努力してきた方も多いのではないでしょうか?その努力の結果が出るのが大体30代の後半です。子供に誤ったことを教えたくなくて結婚しなかった一方で、まさに生物としての人生の折り返しが30代中盤です。単に自己管理という一言では表せない多くの能力を養う必要性が出てくるのが30代であり、この時期にはたくさんの認知や思考の訂正や変更が必要となっています。30代以降はもはや心を病んではいられませんので自分で苦痛となる考えを捨て去り悟りを開くことが必要となってきます。以降は不安や緊張といったこれまで避けてきた嫌な感情を克服してマスターしないといけないのです。

考えや価値観を変える

人が考え方や価値観を変える時はどのような時でしょうか。それは必要に迫られた時、つまり出来事がありストレスを受けた瞬間です。私たちはストレスを悪いものとして認識すると心が苦しくなりあれこれ無駄なことを考えてしまいます。しかしその苦しみはあなた自身の心が作っているのであり、同じストレスを受けてもケロっとしている人がいるのも事実です。ストレスこそが成長するタイミングであり、決して悪い意味だけではありません。

もうこんなに苦しいのは嫌だ、ラクになりたい(私もよくこんな状態になりますw)」

そう思った時こそが考え方や認識の仕方を変える絶好の機会なのです。この機会を逃せばまた次に同様の場面が来ると同じように苦しんでしまうことになります。

素直に、ラクになりたいことを認める。

資料もデータもない愚かな頭で考えまくって何とか打開策を考えるのではなく、自分の考えが苦しいのだと認めましょう。劣等感、不安感、緊張、これらにこだわるから苦しいのです。生きている幸せは、病気になって寝たきりになっている人のことを思うと、自分の手足が自由に動けることは幸せなんですよ。ぐるぐる考えるよりも、思い切ってわ~っと爆発したほうが実はラクなんです。頭が真っ白になって思考が止まるので気持ちいいですよ(笑)しかもこの感覚もすぐ終わりますから。頭が真っ白になることを恐れるから長時間不安になりその場から逃げたくなるのです。素直に緊張した一瞬と、緊張をおそれるための長いうつうつとした時間、どっちがラクかは比べるまでもないでしょう。もう何度も考えてもうまくいかないことは考え方が間違っているのですから、また考えかけたらそこで間違っていたことを認めましょう。

たとえば、はじめての教室で誰からも声をかけられなかった場合、あなたはどうしますか?自分から人に話しかけることが孤独感を解消するためには一番ベストですが、そのままひとりぼっちで孤独を味わうことも可能です。でもひとりのままでいたときにやってはいけない考えが「私は誰からも愛されない」「私は人から好かれないんだ」「わたしはひとりぼっち」「どうせ私なんか・・・」という思い込みです。これは幻想であり意味のない考えであり正しくありません。正しくは「私は人に声を掛けられることを待っているだけの甘えん坊で人に声をかけないからひとりなのだ」ということです。これは思い込みではなく事実です。下をむいて無駄なことをぐるぐる考え空想するくらいなら、他人を観察して目ぼしをつけたほうが建設的で事実に基づいています。

会社や学校に行きたくない気分のときも考え方をチェックします。まずは19時以降に活発に活動しすぎて疲れていないかチェックします。19時以降にパソコンやスマホやタブレットでゲームなどに逃避していると夜眠れなくなり朝起きづらくなるのは当たり前です。頭がぼーっとして出社して疲れているだけなのに会社のストレスのせいにして会社に行きたくないと言っているならその認識や思考は誤りです。まずは夜遊んだり活動しないようにして1か月は様子を見てみましょう。会社や学校での出来事も問題を克服してしまえばまた行きたくなるかもしれませんので悪事をスルーする修行の場と考えたら行ってみたくなるでしょう。上司や同僚は敵ではなく攻略して自分の浅はかさに克つためのゲーム台、という程度に思えば問題もゲーム機並みとまではいきませんけど少しは小さくなるでしょう。あなたはヒーローではないのですから他人の悪事をどうこうすることなどできるはずもありません。客観的に過酷すぎるようなら逃げることも忘れずに。

人生の苦難を乗り切るコツを次の記事で伝授します。
   

2017年2月20日月曜日

不眠と睡眠不足の症状の法則がわかった!

   

睡眠不足の症状と解釈、対応法

睡眠のイメージ写真
夜中に起きたり、起こされたり、寝付けなかったりするなどして私たちはしょっちゅう睡眠不足、不眠になります。眠り足りないと満足感がなくなり睡眠欲が満たされない不満感でいっぱいになり、心を回復しないまま暗い考えを続けると神経症(ノイローゼ)や抑うつ状態になります。睡眠不足で脳も疲れているのでちょっとした刺激でも大きく感じられ、その刺激に対する反応が誤解した解釈となりやすいので、たっぷりと睡眠をとる必要性があります。ここではこのシンプルでネガティブな睡眠不足のループを断ち切るために自分の体験からわかったことを教えたいと思います。

ストレスとなる出来事がひと段落した頃に、どっと疲れが出る法則

病気や仕事など人生で大きなストレスを感じた時、人は頑張ろうとして興奮しておりいつもより睡眠時間が減ってしまいます。明日旅行という時にも興奮しすぎて眠れず旅行先でも緊張してろくに眠れず自宅に帰ってから数日疲労困憊した経験はありませんか?人は良いストレスでも精神が緊張して眠れなくなる生き物です。大好きなゲームに熱中していても興奮して寝つきが悪くなり起きる時間が遅くなって体内時計がずれてしまいます。つまり、自分を忘れて頑張っている状況、日常の運動量を超えて脳や体の筋肉を使って無理をせざるを得ない状況になると、その部位が疲労しすぎて不眠という現象が起こります。いきなりきつい筋肉を使う運動をして疲れ果てても眠り難くなります。つまり脳を酷使しても筋肉を酷使しても人は眠り難くなるのです。たとえばいきなり一人暮らしとなり急に家事をすべてやらなければならなくなったとか、そいういう普段やったことをしなければならない状況も割とストレスですが、悪いストレスではなく必要な筋肉や思考回路ができるまでは眠り難さや体のだるさはきつい筋トレのようなものです。

特に普段していない事をすると、脳神経の疲労から寝付きが悪くなりやすい。

しかしそういった一時的な出来事に脳が慣れはじめると、翌日、あるいは事がひと段落したか疲労の限界に達した三週間後の朝にどっと疲れが出てきます。これは悪い疲れではなく、脳が休息した証拠です。つまりこのだるだは脳がしっかり休んだのです。この疲労感は体を修復した残りカスのような物質であり、休めていないのとは異なると私は思います。ここでだるいからごろごろと半分寝たような状態でいつまでも休んでいると体内時計が遅れます。勇気を出して定時に起き上がり無理をせずにその日を過ごすかはあなた次第といえましょう。筋肉痛が二日後に出るのは修復した時に出た物質であり修復中なので休みつつ元気になってもいいよというサインでもあり脳もまたそれと同じです。もちろん完全に疲労が回復したわけではなく、回復の段階に入っているのでこの段階で無理をしてはいけませんので数日間は早めに横になり休みます。軽い疲労であれば午後には体が軽くなっていると思います。そして翌日には午前中には体が軽くなるように、徐々に朝がだるい感じが短くなっていくはずです。体育会系の人なら次の日の筋肉痛は少々動けば軽くなることを実感しているでしょう。疲労物質は起床後にいくらか体を動かすことで、たいていは午前中(というか起床後6時間くらい)のうちに消えてくれます。回復が早いと起床1時間後には軽い運動をするとこのだるさは消えています。

悩み事で沈んでいる時は眠れない

心配事があって不安や緊張状態にあると眠れないのは当たり前です。眠れないことに腹を立てたりイライラしたり焦るとさらに眠れないのは当たり前です。今日は眠れないという事実を受け入れてあきらめるしかありません。心の問題については一発で悟る人や時間がかかる人、さまざまですのでひらめきがない場合は仏教的な煩悩への執着を手放す心の修行が必要です。寝る前の時間に考える癖がある人は無になり朝に悩む瞑想のような訓練が必要です。

騒音など環境で眠れない

寝る時間に大きな音がすると人は眠れません。暑すぎても寒すぎても眠り難いです。部屋の温度は15度以上30度以下ならよく眠れるでしょう。改装したり引っ越すなどして環境を整えておきましょう。

病気で眠り難い

鼻炎や睡眠時無呼吸症候群など根本の病に対応しないと眠り難いこともあります。花粉症や鼻風邪はつらいですね。ほかにも眠り難くなるいろんな病があります。私は副鼻腔炎で5日間ろくに眠れずつらい思いをしたことがあります。病気が原因の場合は入院するなどしてお医者様に診てもらいましょう。病気になったショックや症状で眠れないこともあります。

眠れない日の後には疲労感が出るがそれは悪者ではない

上記のことを簡単に言いますと、睡眠時間が必要量よりも短くなると、翌日以降の朝に疲労感や倦怠感が現れます。しかしこれは修復した時に出た物質であり、観察していると数時間後には消えるので、疲労そのものとはちょっと違うと私は思います。ただし、この物質が体全体を覆ってしまうとろくに動けなくなることも事実ですのでその原因となること(出口のない葛藤や思考のループ)をやめなければなりません。動けるうちは動いてこの疲労物質を消したほうが良いように私は思います。ストレスがあって会社や学校に行きたくない時も朝がだるいのは、脳が疲れているからであり、寝る前に考えずにお風呂に浸かりしっかりよく眠り休息すれば考えも変わります。ここで朝のだるさに執着して「行けない」「起きられない」と決めつけてしまうと不登校や出社拒否という行動に繋がりますので思考と結びつけずにただ単に「脳が休息したからだるいので当たり前であり脳は休めている証拠」と思ってください。

自分の悩み癖・心配癖に気が付く

人生の一時的にでも猛勉強したり猛烈に悩んだことがあれば左脳がよく開発されているので、ろくに知識やデータ(人生経験)もないのにあれこれと考える癖がついています。寝る前に考える習慣、運転中に考える習慣、何かをしながら考える癖になってしまっています。考えないタイプの人はどこでもすぐ眠れてほんとうに羨ましいですが、そういった考えないタイプの人は自分を守るための能力に優れていて親子であっても自分を守るために傷つける発言を無意識にしてしまいます。子供時代とはまさに左脳が開発しておらず理性や経験に乏しいので親や友達を傷つけてしまうのです。この社会である程度の礼節を親子間でも守れている人は、それだけ頭を使っているので頭の筋肉が疲れやすかったり眠りにくくなって当然なのです。心配が癖になっているときは、ああ、また思ってしまったと、軽くスルーする必要があります。
   

長時間悩んだり考えたりパソコンをすると前頭筋が凝る!うつも不安も前頭筋を鍛えて学習することで解消してみよう!

   

思考することで前頭筋が凝ってることがわかった!

パソコン長時間で頭痛がする

最近、頭を酷使して頭のてっぺんの前あたりがズキズキしたりキュンキュンしたりすることに悩んでいました。自分なりに調べてみると位置的に前頭筋という筋肉が凝っているのではないかと思います。脳の内部には痛覚がないのが定説で血管系の痛みではないから、多分前頭筋に負担がかかり、何となく頭の前の上あたりに感覚が生じるのではないかと思いました。

枕が合わないと後頭筋が痛くなってきます。

大きなストレスとなる出来事があって働き過ぎて疲れていると、ほっとした瞬間に側頭筋がほぐれてシュワーっと血が通い始める感覚が戻ってきます。こんなに側頭筋の筋肉が緊張していたんだとびっくりしますよ。

パソコンを長時間やりすぎると前頭筋が凝っていた!

前々から長時間パソコンをしていると、何となく頭の前に血が通っていない感覚がして、パソコンを終了して30分ぐらいするとじわーっ(シュワーッ)と血行が良くなっていることが何度かありました。時々その感覚に自分でもびっくりして焦って不安になったりもしましたけど、これはやはり頭の上の前のあたりの前頭筋が凝って緊張して固まっていて血行が悪くなっていたのではないかと思います。かれこれパソコンをはじめてからこの症状は何度も経験してきましたが、いつも原因がわからないので大丈夫かなと心配になることがよくありました。ゲームをすると特に側頭筋と耳にダメージがあると実感しました。

月経前の排卵日以降も前頭筋が凝る!

意外かもしれませんが、ちょうど排卵日のあたりからも前頭筋が凝っていることにこの頃気が付きました。前から何だろうなぁこの感覚、と疑問に思い、いつの間にか無意識に前頭筋を緊張させる癖がついたようでした。条件反射で割とズキズキすることを学習してしまったので前頭筋の痛みの理由を勘違いすることもあるので行動を消去したいです。

ストレス、悩み、考えすぎでも前頭筋が凝る!

私はパソコンのやりすぎで前頭筋が凝るものだと思っていましたが、意外とパソコンをしていない日でも前頭筋が凝っていることがわかりました。前頭筋の緊張は思考している時、特に悩んで思考のループに陥っているときに起きたり、割とふとした瞬間にキュッと緊張していることに気が付きました。もうこれは癖みたいなものですね。

考えている時は前頭筋が固まっていた!

どんな内容にしろ、考えている最中やパソコンやスマートフォンやタブレット端末の画面を見ている間は前頭筋が固まっていることに今日気が付きました。運転中に考え事をすることも前頭筋が固まり視界が一点に集中し、周囲を見られなくなるのでよくないということです。悩みながら歩いていると自然と視線が下の前方に集中しますよね。それって前頭筋が固まっているからなんだと思います。つまり、思考すると前頭筋が緊張して固まって視線が小さな範囲に固定されて血流も悪くなるのだと思います!!!おそらく間違いないでしょう。

前頭筋が緊張するとネガティブになりやすい!

よくよく自分の頭を観察してみると、前頭筋が特に緊張した瞬間は、怒りか不安か、疲れすぎ、寝ぼけているときに起きやすいことがわかりました。普段からネガティブ思考で暗くなりがちな人は前頭筋の疲労→マイナス思考という行動を学習して反射しちゃって信じ込んでしまっていると思います。

不安は前頭筋が敏感になっている!

そして、悩むことや考える、パソコンやスマホのやりすぎにより前頭筋が凝ったり血行が悪くなって疲労して敏感になることが私の経験でわかりました。FPSゲームのやりすぎでビクッとしやすくなった経験もそうでしょう。ストレスに耐えたり悩み過ぎたりして頭が敏感になっている時は前頭筋が疲労し過ぎているのです!!!どんな筋肉も使いすぎると寝る時にピクッと痙攣して寝つきが悪くなります。それは前頭筋でも同じだと思います。

うつは頭に疲労物質が蓄積している状態!

ストレスとなる出来事があってぐるぐる悩んだり緊張した後には疲労物質が脳に蓄積しています。うつ状態はまさに運動後の全身の疲労が、頭に起きている状態といえます。もちろん運動後もだるくてうつっぽいですよね、ああいう感じでうつは特に頭がだるい状態といえましょう。だからこの疲労困憊した状態で「がんばれ」なんて言うのはまさに鬼みたいな掛け声に思えるのです。思考もスポーツと同じで疲労が溜まるのですから休まなけばいけません。同じことをぐるぐると考える思考のループ(輪廻)から脱出(解脱)する必要があります。同じことを考え続けることは意味がなく愚かなことであると理解することです。頭が疲れすぎているから眠れないのは当然です。体を動かしたりして血液を頭の一点に集中させすぎないようにしてみましょう。

悪態をつく時も前頭筋が動いてる気がする!

毒づいたりスラングを心の中で思っている時や、疑いの念を持っている時もなぜか私の場合は前頭筋が瞬間的に緊張していました。ですので脳が誤解しちゃわないためにも前頭筋の緊張は思考と区別して考える必要があります。間違って学習してしまうと前頭筋の緊張→悪態なんてループが出来上がってしまいます。よく怒る人はまさに前頭筋が緊張するたびに暴言を吐いていると思いませんか?あれは誤学習の産物であり、前頭筋の反応と思考のループに陥っている状態であると思います。

何かを思い浮かべる時も前頭筋が固まってます!

思い出したくないことや、悪い事だけでなく良い事も思い浮かべる時は前頭筋が固まっていることに私は気が付きました。ですからこれを誤学習した状態が前頭筋の緊張→嫌なことを思い浮かべるという思考のループ、負の学習に陥っているといえましょう。この学習を変更するには良い事を思い浮かべる→前頭筋の緊張を繰り返して自信をつけましょう。集中→前頭筋の緊張というパターンもありますので、ネガティブ思考のループから脱するためには思考内容とと前頭筋の緊張の条件反射に気づいて自分でやめるしかありません。

つまり、プチ鬱や神経症で集中力がないのはまさに前頭筋が疲労困憊した状態であり、決して集中力がないわけではないということを自覚しましょう。

前頭筋をほぐして休ませれば不安や緊張を克服できる!

学習のポイント

ちょっと論理が飛躍しすぎているかもしれませんが、何かと神経質な状態になっている場合(抑うつ神経症)は考え過ぎて前頭筋が疲労して敏感になっている状態といえるかもしれません。寝付けない時に、頭の前方がクッキリしているのは、案外前頭筋のせいかもしれませんよ。鬱っぽい時だって、視線が前方の下に固定しちゃってますよね!それって案外、悩み過ぎて前頭筋が疲れているサインかも!

不安や鬱っぽい時は前頭筋の緊張を緩めて休ませることに力を注いでみると、案外スッリするかもしれないことに私は気が付きました。ムダな悩み事を繰り返すよりも、まず、前頭筋をほぐすことに注意をむけたほうが健康的といえましょう。

前頭筋の緊張を緩めてほぐすには景色を見るために頭の筋肉を優しく使う散歩や運動がよいでしょう。お風呂や温泉で「あ~気持ちいい」という気持ちはまさに凝り固まった頭の筋肉が緩んで血が通っている時の感覚だと思います!!!つまり、この前頭筋などの頭の筋肉の緊張を緩めれば、気持ちが晴れるかもしれませんよ!!!

鈍感力というのは、まさに頭の筋肉の緊張と疲労を避け正しく反応する力といっても過言ではない・・・気がします。

鬱になってる時ってまさに前頭筋が疲れてぼーっとしてるじゃないですか!そしてちょっとした刺激でさらに疲れる。それって、前頭筋を2、3日休ませれば回復するってことですよ。要するに元気になるには前頭筋を休ませて反応させなければいいのです。そのためには上手に前頭筋を使うトレーニングが必要かもしれませんね。私も挑戦してみたいと思います。運動系の人がストレスに強いのは筋肉と疲労のサイクルに慣れて筋肉の使い方が上手だから大丈夫だという確信があるからかもしれません。

生きている限り悩みは尽きない

お釈迦様は煩悩(欲望)は人が生きている限り尽きず苦も絶えないとおっしゃいました。長いようで短い人生です。賢くなって悩むことに悩まされないようにつまらない考えに大げさに反応してみじめになるループをやめましょう。そのためにはある程度は自分の不安や緊張、鬱や眠れなくて朝起きづらいということに慣れる必要があります。もう何度眠れぬ夜をすごして悩んだのか、このページをお読みのみなさんも悩むことや眠り難く起き難いことに熟練していますよね。そろそろ「またか」とスルーすることを学習してみてもよい時期に入っているのではないでしょうか。人は「またか」と思うと案外刺激に慣れるものです。「またつまらないことを思ってしまった」と自分の思いに囚われない能力を身に着けて貴重な日々をしっかり過ごしていきましょう。

大体悩みの種類は限られています。人間関係や生き方の悩み、自分の考え方の癖、性格、性、老、病、死、経済・・・誰かが既に悩んだことをみんなも悩んでいます。要はくどくどと何度も同じことを思い続けるから苦しいのです。手放さなければならない、手にすることのできないこともたくさんありますし、むしろ思い通りにならないことがほとんどであるという事実を受け入れあきらめたり手放したほうが苦しみは減るかもしれません。

老いることや病気や死というものは避けられません。病気は嫌ですが、自分にできることといえば食や衛生面での生活や行動や考え方を変えることくらいです。人間関係だって苦しむような人と出会ってしまたものは逃げるか耐えるか戦うか自分の未熟な考えを変えるしかどうしようもありません。なんとなく群れただけの出会いもあったことでしょう。生涯の親友などは2、3人ほどいれば十分で一人の人間が丁寧に対応できる友達の数なんてそう多くはできませんので友達が少ないことで悩む必要はありません。体の悩みは親からいただいたものですので、整形する以外には自分ではどうしようもありません。お金のことは働かないとどうにもなりませんし、経営に参加する以外に大金を入手する機会は滅多にありません。お金があればあるほど敵も多くなるでしょう。孤独は心をしっかり持つ機会と能力を与えてくれますし孤独で自分を律して過ごせてこそ煩悩に蝕まれない一人前の精神を養えるのです。今はオンラインで会話できるので夫や妻と離れて暮らしていて寂しくても苦しむ必要はありません。死についてはどうにもなりませんので、たっぷりと悲しんだら日常生活を営むしかありませんし時々思い出しては愛で想い人(動物)や自分を抱きしめるとよいでしょう。愛する人や動物と別れた直後は誰でも元気がなくなり鬱になるものですので逃れようと思わず事実をゆっくりと受け入れるしかありません。去った人(動物)や自分の体はあなたが悲しむことは望んでいませんのでいつかは浮き上がる時が来ます。環境が変わって慣れない生活の苦労も、普段使ってない筋肉を使ってますから全身がだるくて当たり前です。

幸せの条件反射

元気になり幸せになるためには「前頭筋の反応→ネガティブ思考のループ」という条件反射という脳のプログラムを変えてみましょう。「前頭筋の疲労→ただ疲れているだけ」ということが心からわかればあらゆる前頭筋の反応は誤学習の結果であると理解し認知できるはずです。そのためには「前頭筋」を良い言葉で反応させてみましょう。「大丈夫」「安心だ」という言葉で前頭筋を刺激してみると何も前頭筋が反応するのはネガティブな刺激だけでなくポジティブな刺激でも反応することを学習できるでしょう。
   

2017年2月17日金曜日

不安や緊張をなくす唯一の方法

   

不安や緊張を克服する方法

不安や緊張をなくす方法

人生でここぞという時、たいていの人は緊張したり不安になったりすると思います。悩み事があると不安感に押しつぶされたり時には緊張して取り乱しそうになったりします。今回はそんな不安のお悩みを解決する方法を伝授したいと思います。

不安や緊張の原因とは?

なぜ人は不安になったり緊張するのか。これは人が自分を守るための本能です。心配したら不安になり緊張するのは当たり前の事なのです。人工的な環境に生きている私たちは無意識のうちに多種多様なストレスを受けています。そして人類普遍のストレスである生老病死や孤独と承認、自己実現などの欲求を抱えており、ストレスの種類も多岐にわたります。このストレスに加えて「くよくよする性格」「弱気になる気分」「バイオリズムからくる不調」「身体の不調」などが加わると、不安になりやすいといえます。


よくある不安と緊張のパターン

よくあるパターンが「緊張して混乱して人前で恥をかくのではないか」とか「(無意識に緊張して)めまいがしてどうかなったらどうしよう」とか社会で場数をこなしてなくて場面慣れしていない場合やはじめてそういったことを意識してしまった場合に精神的に不安になると思います。私も未成年の時にひとりで電車に乗って貧血になったことがあって以来、電車で緊張する癖がついてしまって随分とつらい思いをしながら電車に乗っていた経験があります。あるいは人前で何かを発表するときの本番や、緊張は大勢の人が見ている場面で起きやすいといえましょう。緊張すると体がカチカチになってしまい、おかしいと自分ではわかっていてもどうすることもできませんね。何度か不安と緊張で失態を演じるうちに「くよくよ悩む癖」ができてしまって寝る前に悩んで不安になったり「悩むことのプロ」になってしまいます。特にバイオリズム、性周期で排卵日から1~2週間あたりは女性は緊張したり不安になりやすい時期もあるので、その時の不快感によって考えたことに対し不安が増強されることもあり得ます。男性にも性周期はあるようです。

もとは体調不良とちょっとした失敗や、人生で最初の躓きが重なりその後の不安や緊張の原因となっていることが多いのではないでしょうか。そこから臆病さと悩むことがすっかり定着してしまい、自分が考えたことを嫌悪したり怖がったりして不安になるのだと思います。

挫折しやすくなった体質に自分をダメだと思い込んだり責めたりうんざりしているのではないでしょうか。

人は自然状態で悩むようにできているのです。

不安を解消する第一歩は「自分への愛」

よく「自分を愛する」「自分を大事にする」「自分を抱きしめよう」といった感じの本があります。私のおすすめはエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本が根本的な不安から自分を解放するために一番のおすすめです。不安になりやすい人は自分や他人に対して厳しい傾向にあります。一方で自分がかわいいものですから不安になること自体が嫌いで避けようともがいて余計に緊張してしまうループを繰り返しています。特にこの「自分を愛する」方法はパニック発作によく効きます。

自分をせない自分を許す、自分のために他人を

不安を手放すためには深い愛に触れることが効果があります。嫌な自分を許し、自分で自分を苦しめることをやめる決意をするのです。

この「愛と許し」は結構効果があります。

自分を正しい方法で愛することができないから不安になるのです。


不安と緊張そのものを克服する方法

根本的な不安は「愛と許すこと」である程度解消できます。次に、すっかり悩んで不安になったり緊張するループになってそこから解脱をしたい人におすすめの克服方法を教えたいと思います。不安や緊張のプロとなってしまったあなたは相当の場数を踏んでいると思います。不安で眠れぬ夜を過ごした日数も既に人並以上でしょう。ふと心配事を考えて不安になった日々も既に十分すぎる経験を積んでいると思います。つまりあなたは悩むことのプロです。もうそろそろ考えるたびに不安になる必要はないのではないでしょうか?左脳が良く訓練され考える力も十分についていることでしょう。

もうお気づきでしょうか?不安になりやすい人は考える力、思考能力は十分すぎるくらいについているのです。要はその考える力でどうすれば不安から抜け出せるか考えるのです。

「奇跡の脳」という本には、嫌な感情は90秒で終わると書かれています。

たとえば大勢の人がいる中で脳が体の反応を誤解して急に不安になったとしましょう。脳は集中力が解けてふと体が熱くなったことを緊張と誤解するんです。あるいは社会的場面で集中力が切れたこと自体を恥と思い自動的に緊張が生じる癖ができていることでしょう。その瞬間は頭がカーっとなって混乱し何も考えられなくなります。しばらくするとそのカーっとした感じは鎮まっていき、頭も意外とスッキリしています。これはただ単にその場面への集中力が切れて体がリラックスしようとしていただけだったところを脳が恥だと錯覚したために誤解して緊張が生じたのです。ほかにもたまたま心臓がドキドキしていたことから不安になるのではないかと誤解し緊張が生じることもあります。私たちは賢者ではありませんので、誤解するのです。

確かに次も同じ場面が来たら心配になるでしょうが、そこは勇気を持って挑みましょう。大丈夫であったらその次からは不安のレベルも下がります。

ストレスで睡眠不足になると、脳は疲労して敏感になっておりちょっとした事にも反応し感じやすくなっています。ぼーっとしている時も油断しているのでちょっとした刺激に敏感になりやすいです。そこはしっかりと睡眠をとると敏感さや疲労感が低くなっていく様子をしっかりと自分で自分を観察してみてください。

左脳は誤解して感覚を誤ラベリングするのが得意

先ほど紹介しました「奇跡の脳」からヒントを得ますと、脳は誤解しやすいのです。それは私たちの知能がそれほど賢くないことや、脳の進化が戦争のない平成の世に適応していないため過剰反応を起こしたり、トラウマによって誤反応の連鎖が引き起こされ自動化されてしまいます。

脳は誤解する

例えば、一日の仕事が終わりほっとした瞬間があるとしましょう。ほっとすると脳の筋肉の緊張がほぐれる瞬間のキューッとした感覚、あれを緊張が解けていると正しく認識せずに、何なんだこの感じは?と誤反応してしまうとせっかくリラックスしかかった筋肉がさらに緊張してしまい苦しくなってしまいます。

私たちは頭の感覚の変化を誤解しやすいのです。

この誤解のパターンで不安感というものは形成されていきます。頭や心臓に生じた感覚を緊張であると誤解して緊張するパターンです。体を動かしてたまたまドキドキしていたのを緊張と勘違いしたりします。

頭の感覚と思考を結びつけない

確かに緊張や恐怖は頭の特定の部位がカーっと熱くなるのでわかります。寝ているところを突然起こされて驚いた時は心臓がバクバクして大丈夫かなと不安になります。しかしそれ以外の細かい頭の感覚については明確にラベリングすることはできません。姿勢が悪くても、長時間同じ姿勢を続けていても頭の特定の筋肉に重い感覚が生じますので感情とは無関係の現象です。頭の感覚を不快な思考と結びつけようとするから不安が生じるのです。たとえば長時間パソコンをしていて久しぶりに外出すると頭の前頭葉のあたりに血が流れているような感覚がします。あるいは疲れていた頭の部位が刺激的に感じられます。これは単に血行が良くなったり疲労しているだけであり、不安と結びつける必要はありません。あるいは体内時計がズレて寝たい時刻に目を閉じても頭が冴えてるときに、眠りたいのにビンビンに冴えてることが嫌になり不快や不安になりやすいです。

考えを変える

日常生活を送っていると、いかに自分が不適応な思考の癖がいくつか身について自動思考をしているかわかるようになってきます。私の場合、常に抱いている不安をふと思い出しやすい習慣が身についていました。私の場合、不安の種は5つくらいありました。差別への恐れや、精神的健康への恐れや罪を犯すことへの恐れなど、それは逆に考えれば現在は差別されておらず精神的にも健康で法を順守しているということを意味しており、何も心配することはないのです。そしてそれは私の意思と覚悟でもあり、ポジティブな意味を持っていました。また人はどんなことでも思い浮かべることが可能ですから、悪いことは思い浮かべたくないのに、思わないでおこうと思ったらつい思ってしまうループに陥ることも苦しいものです。

ネガティブな考えの裏にはポジティブな意思が隠されている

そうなんです、何々だったらどうしようという裏には常にポジティブな意味が隠されています。「このまま病気で何々だったらどうしよう」は「少しでも元気になりたい」という前向きな意思の裏返しなのです。

つまり、心配性の人は本来ポジティブである

心配事の意味を考えると、たいていはポジティブな意味合いになると思います。
  • 眠れなかったらどうしよう→しっかり眠って脳を回復したい!
    • 大丈夫です、定時に起きるしかしっかり寝る方法はありません。
  • パニック発作になったらどうしよう→人前で恥をかきたくない!
    • つまり、承認欲が人一倍強く、人や自分のことが実は大好き!
  • へんな考えをしたらどうしよう、ちょっと思ったら不安になった→常に正気でいたい!承認欲が強いのです。人からよく思われたい。
    • あなたは正常です。自信を持ってください。
  • 落ち込んでるので鬱になったらどうしよう→元気に楽しくなりたい!
    • 元気はあなたの中にくすぶっており出したくてエネルギーが溜まっています。でも遠慮なく元気を出せる方法がわからないので内側に元気が溜まっているのです。
    • 今は脳が付かれているだけなので、定時に起きて、脳を休めましょう。
  • 家族が死んだらどうしよう!→家族が生きているだけで幸せなんだ!
    • 生きているだけで幸せ。四苦は避けられないので今を大事にしたい!
  • ストレス貯まってるなぁ→乗り越えたい!乗り越えて成長できる時期が来た!
人は誰だって元気に明るく楽しく生きたいものです。

しかし状況によってはそうできない時があり、たとえば身近な人の病気や死や配置転換などの大きなストレスが生じた場合は三週間~一か月くらいは無理は禁物です。ストレスが生じた直後はもっと「ああしておけばよかった」「楽しく過ごしたかったのにもうできない」という後悔と欲望がうずまいており、エネルギーを発散することが社会的に認められないため自分の中に渦巻いている状態(抑うつ神経症)です。

人生に関わるストレスの直後一か月は自分を大事に

生老病死に関わる出来事や、人生に大きく関係する出来事(ストレス)が生じてから一か月くらいは、自分の中の認識や思考パターンを変更する必要性がありますので、しばらくやうつ気味や神経症気味で食欲がなかったりすることはやむを得ないと思いましょう。こういった大きめのストレスがあった場合は、悩むことは午前中にしておいて、夜は21時くらいには体を横にして休めて無になる取り組みを積極的に行います。この時本当に助けになるのはあなたが信仰する宗教の教えを学ぶことや、苦しみを乗り越えた人の人生訓などの本を読むことです。

脳が疲労していますので、このときも一定の時間に起床することで睡眠と覚醒のサイクルを一定にしておくことが脳の疲労の回復への最短経路となります。

※つらすぎる場合は薬を処方してもらいましょう。


生きているうちは不安だらけ

不安と緊張から解放される方法

お釈迦様はこの世は苦であると仰せになられました。人として定められた老いや病気などの苦から逃れる方法はありません。そこにひと時の楽しみや安らぎ、幸せがあり、それらの小さな幸せを追い求めて生きている姿こそが美しい。子供の頃には生きるということは苦であるということはまったく知らなかったので、苦を感じるたびにどうしてこんなにつらいのだろうと思い悩んで私たちは命を削って生きてきました。このことは死ぬまで続き、逃れようもない運命を受け入れてあきらめることもまた苦に病むことから解放される道なのです。人としての命は尽きようとも、また何かの生命生まれ変わり命は続きます。終わりのある人生です、たっぷり眠りたいスッキリ起きたいなどと社会人である限り絶対に叶わぬ欲望や心配を捨てて日々を後悔のないように生きることや人生の目標を考えることこそが不安や緊張から解放されるベストな道であるように思います。

私の不安と緊張の体験談

私がまだ二十代で社会に出たばかりの頃です。満員電車の通路側に座っていた時でした。好きでもない男性の股の部分がちょうど私の顔の隣でブラブラとしていたため、私は不快になり、だんだん緊張して不安になりどうにかなりそうで少々過呼吸になりました。ぐっと我慢していると、何とかやり過ごせましたが、後もそのことはトラウマとなってしまい、電車で居てもたってもいられなくなったらどうしようという不安と逃げ出したい恐怖を抱くようになりました。

車内で不快になって緊張した経験からいわゆる電車に乗ることが怖いという状態も経験しましたが、結局は自分がそのように考えるから不安になるのであって、たとえ思って不安になったとしても卒倒することなくやり過ごせるということを学習してからはまったく大丈夫になりました。

要は不安で緊張状態になっても態勢を立て直せるという多くの経験が自信となり不安の解消法となりました。場数を踏めば私のような気が小さい人間でも学習できるのです。

私がこのようになったのは、幼少より課題をひとつずつ乗り越えてこなかったことが原因でした。勉強も嫌いで投げ出して、嫌なことを乗り越えずに、自分で考えずに来たことがそもそもの原因なのでした。もしもインターネットがあったら心の解決法がたくさん乗っているので私の子ども時代も良いものになっていたかもしれません。

不安や緊張、頭の感覚に慣れる!脳筋を休ませよ!

どんな日常的な感情も一瞬のものであり90秒、強い感情でも15分で鎮まります。喜びや幸福感ですら一瞬です。頭に強烈な反応が生じたら冷静に観察してみましょう。頭に生じた感覚と不快な考えを結びつけないようにしましょう。私たちが手足の筋肉の感覚に慣れるのと同じで、頭の感覚にも慣れるのです。緊張するときは、頭の筋肉がキュッとしまり、集中や緊張が終わると頭の筋肉にシュワッと血流が戻ってきます。頭の筋肉も手足の筋肉と同様の感覚で休ませる必要があり、翌日に筋肉痛と同じで頭にも疲労が溜まるのです。手足の筋肉が疲れすぎていても寝つきが悪くなるのと同じで、頭の筋肉なども疲れすぎても眠れなくなるのは当然なのです。

結論

人として逃れることのできない不安や緊張を受け入れる勇気を持ってください。不安や緊張を克服するには不安になってもよい、時には緊張してもよいという覚悟と勇気を持つことしかありません。自分を守るために不安や緊張、孤独を飼いならすのです。私たちが不安や不幸になることを避けてさらに不安になるのは、赤ちゃんや幼児が「嫌ぁああ」と拗ねることと本質的にはまったく同じ心理なのです。赤ちゃんと違うところはお母さんが「大丈夫だよ」と慰めてくれないというところです。そこは自分で「大丈夫だよ」と時には母や神仏をイメージして慰めるしかありません。朝起きられないのも体内リズムが乱れていることが原因であっても、そこを二度寝することはまさに幼児や赤ちゃんと同じレベルです。もちろん本当に脳が疲れすぎている場合は眠って気力を回復させて定時に起きる気力が出るまで休んでください。まずは脳の疲労を回復させることが最優先であるので、無理して学校や会社に行く必要はありません(が行かなければならないこともあるでしょう)。

脳が緊急時を脱したと判断すると「疲れがどっと出る」感覚が出てきます。これは脳が緊張から解放され、休んでもよい、何日か眠って休めば回復するよというサインです。事実私もこの体験をしまして、緊急時から2週間後に疲れがどっと出たことに戸惑いつつも、脳が休めていると実感できました。

お釈迦様はこうもおっしゃってます。「この世に真に楽しむべきものは何もない」と。楽しみを追いかけられない状況になったらこの言葉を思い出してみるとよいでしょう。

私たちは快楽を求めて日々暮らしています。「楽しくなりたい」それは本能であり否定する必要はありません。守るべきところは守り、許される楽しみを追い求めて、人生をしっかりと生きましょう。
   

2017年2月15日水曜日

脳卒中(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血)の入院で必要な物リスト

   

家族が脳卒中で入院した!

悲しいことに、高血圧家族が脳卒中で倒れて入院してしまいました。うちは隙間風が吹く寒い家なので、80歳以上まで生きた人は誰もいません。いくら病院をすすめてもお金のことを気にして行こうとしなかったし、好きなインスタント麺ばかり貪る生活が退職後に2年ほど続いてとうとう入院する事態になりました。やっぱりラーメンと焼きそばは血管に悪い!早死にする!親が楽しく老後を・・・と思った矢先のことでした。私は血の気がひいてその日は眠れず、二週間くらいは緊張しっぱなしで4時間くらいしか眠れず脳が疲れ果てて一息ついた時には疲労困憊してしまいました。脳卒中は日本の死因のトップ4に入っており、塩分の摂取量や高血圧、逆に低血圧とも関連があるようです。

生活習慣の悪習慣が脳卒中を招いた!

脳卒中を発症した家族は50代の時で既に血圧の上が140くらいあったのですが、病院への受診は勧められていなかったらしく、私も家族もまったくとはいいませんが、こんなに恐ろしいことになるとは思っておらず気にしていませんでした。家族は焼きそばとラーメンや揚げ物、そして毎日の酒が大好きでして、それらを食べているうちは幸せそうでした。しかし頻繁に頭痛や立ちくらみがあり、今思えば前触れというものがあったように思います。本人も私も脳卒中の心配はしていたのですが、病識が無く病院に行っていなかったのが一番反省させられます。

脳卒中は冬の発症が2割増し

私の住んでいる自治体のレポートでは冬季の脳卒中の患者数が暖かい季節の2割り増しとなっており、特に北部は南部よりも有意に患者数が多かったです。都道府県別の脳卒中の発症率を見てみると、北陸と東北と山陰が明らかに高く、そして高知や鹿児島といった南国の気候でも高かったです。しかし首都圏と近郊や北海道や沖縄の発症率は不思議と低いです。首都圏は良い病院もあり教養のレベルも高い男性が多いからもしかしたら発症前に通院をして高血圧などの治療をしているのかもしれませんね。あるいは医療格差そのものを反映しているのかも。そして北海道は暖房があるので室内で発症するリスクが低いのかも。都道府県別の高血圧の患者数の統計と脳卒中の発症率の統計が似通っているのも興味深いです。地方は所得が低いのでおかずの種類が少ない分、貧困だった時代から続いているおかずがいらないしょっぱい伝統料理や伝統的な汁もの、安いカップ麺などで腹を満たそうとする傾向があるのかもしれませんね。味噌汁や醤油、塩は食卓のメニューから外したほうがよさそうです。調味料にも塩分がありますので、それで十分だと思いましょう。

脳卒中の入院で必要な物(急性期)

119に電話するとすぐに救急車で家族は病院に運ばれていき降圧剤が投与されました。いわゆる脳卒中の急性期で必要な物をリストアップしてみますと、ゆったりしたパジャマと上の肌着と靴下、そして水とストロー付きのこぼれないコップとタオルは家からその日に持って行ったほうがよいでしょう。パンツはオムツを履きますので、当日は必要ありませんが後日リハビリパンツというオムツが必要となります。入院して2週間ほどは血が周囲を圧迫しているためぼーっとしているため難しい本などは読めません。
片マヒが生じて寝たきりになった場合こういったオムツが必要となります。

マヒがあるとうまく水が飲めませんので、ストロー付きの容器を使います。
私はこのタイプのストローを購入しました。

早期リハビリを開始して必要な物リスト

脳卒中で病院に入院すると、すぐにリハビリが行われます。早い人で入院の翌日からリハビリのスタッフが病室を訪ねてリハビリをしてくれます。このリハビリで必要な物は、ズバリ柔らかい靴です。
この柔らかい靴がリハビリではおすすめです。硬いシューズは片手では履きにくいので超簡単なシューズを購入するように理学療法士さんに言われました。

脳卒中の病気の理解に必要な本

脳卒中(脳梗塞・脳出血・クモ膜下出血)を知るには本が必要です。特にリハビリの本は入院した患者本人や家族が読んでリハビリの可能性を学ぶために必須です。ここでは私が実際に購入した脳卒中のリハビリ本を紹介したいと思います。
この指と腕のリハビリの本は実際に病院でリハビリを行っていた動作がいくつか乗っていたので信頼できる本だと思います。
はっきりいって家族が脳卒中で倒れると看病している私もわけがわからなくなります。少しでも気を休めて病院の考え方を知り戸惑いを減らすためにこの本は役に立ちました。
この本ははっきりいって川平法という方法があるよというだけの宣伝本で、リハビリの中身は何も書いておらず役に立ちませんでした。でも私は藁にもすがる思いで買ってしまったことはみなさんにも理解できると思います。
効果のある川平法はどうやってリハビリを行うのかについて実際に書かれている方法です。川平法を行っている病院は鹿児島くらいにしかないようですので家族が川平法を実践してあげるしかありません。この本も藁にもすがる思いで買いました。
川平法の下半身のリハビリについて書かれている本です。こちらも藁にもすがる思いで買いました。
まだ読んでませんが、藁にもすがる思いで買いました。
この奇跡の脳という本は病室で自分が気休めに読むために買いました。なんと8年間のリハビリで奇跡的に回復された女性科学者が脳卒中での現象を冷静に観察した回復記録です。私たちの心を悩ませているのは偏桃体という小さなピーナッツ大の組織であることにも言及しています。

あったら便利な脳卒中の介護グッズ

私の場合、これらを準備してもさほど必要としなかったのですが、入院初期にはあったほうが何かと良いと思いました。
ペーパーナプキンもありますけど、最初は口のマヒもあったのでこっちのほうが便利です。
入院初期にはぼーっとしておりますので介護用のスプーンは必要でした。しばらくすると箸でも食べられるようになったので割り箸を使うようになりました。
拘縮予防のクッションですが、私は初期のリハビリで何かを握っている感覚を取り戻してほしかったので毎日使ってリハビリをしていました。一番大きなサイズがおすすめです。効果のほどはわかりませんが、半月後にすべての指が少し曲がるようになりました。

回復期リハビリテーション病院へ転院しなければならない

急性期は救急の病院で何週間か過ごすと医師やソーシャルワーカーから転院の話を持ち掛けられます。私たちには何を言っているのか、なぜこの病院で診てくれないのかと不安になりますが、決まりでリハビリテーション専門の病棟というものが日本国中に設置されており、脳卒中や骨折などの身体の日常動作の回復と自立に必要な動作の学習を目的とした専門の病棟に脳卒中の発症後二週間以内に転院しなければならないのです。

できれば地元より効果のあるリハビリテーション病院への転院がベスト

リハビリテーション病院といっても、病院にもピンキリがあるように、おそらくリハビリの内容にもピンキリがあり、老い先の短い老人が多数横たわっている地元のリハビリテーション病院から、就職を目指した若い人が積極的にリハビリを行っているリハビリテーション病院や最先端の治療を行っている慶應義塾のような大学病院などがあります。脳卒中は老人がなるものと思ったらそうではなく働き盛りの男性や女性もいきなりなってしまう危険な病です。小室哲哉さんの妻のKEIKOさんのように若くして発症してしまうこともあるのです。まだ頭のシャキシャキしている人は、高度なリハビリテーションを行っている病院へ転院したほうがまだ希望が持てるように思います。

家族のメンタル管理

はっきりいって、まだ生きられると思ってるような歳で家族が脳卒中になると、家族の心理的なダメージはかなりのもので、私も二週間くらいは精神的に参りました。あれこれと、元気なうちに病院に連れて行ってあげればよかったという後悔や自責の念、悔しさや家族と過ごした幸せな日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、正直言って私は冷静ではありませんでした。ですがいつまでも親に心の不安を打ち明けてはいられないことが今回わかり、自分で気持ちを鎮める方法を勉強しなければなりませんでした。いつもの悪習慣を変えることは難しいですが、気分良く過ごすためには必要な努力であると思い、まずは眠る前にあれこれ考えないことを実践しました。
この本は自分の間違った習慣や苦しい思考についてどう向き合って手放していったらよいか書かれていました。

私には親が先に逝ってしまうという無常の不安があり、それは執着であって苦しみをもたらす原因となっており手放さなければいけない煩悩であると、当たり前のことなんですが、そういったこだわるが故の苦しみを手放す方法がこの本には書かれているように思います。

脳卒中で暮らしが大きく変わる、古民家よりも断熱の家

家族がまだ一般的には生きられる年齢で脳卒中を発症すると、暮らしが一変してしまいました。ほんと、かなりのストレスでこれまでの習慣が通用しませんから、心理的には大きなショックがありました。しかし脳卒中の家族とこれから少しの間か、いつまで一緒にいられるかわかりませんけど、楽しく過ごすためにはこれまでの価値観や予定や生活スタイルを変更する必要がありました。食を貪っていた私も家族もげっそりと痩せてしまい、デブよりも痩せてる方が楽しく過ごせそうだと前向きに考えています。

家も隙間風だらけの古民家よりも、断熱材があり風呂場などが寒くない家が、伝統家屋よりも大事であると思いました!

生きててよかった

いろいろな苦悩はあり身体が不自由になってしまいしたが、生きててよかったと思います。ときどき気分が滅入ると、命がある以上の幸せはなくあれこれ思い惑うことに意味はないと思うようにしています。