2017年1月26日木曜日

大炎上!絵本の「えんとつ町のプペル」にしのあきひろさんの作品

絵本のえんとつ町のプペルはにしのあきひろの野心作か?

またまたネットで大炎上!今度は「えんとつ町のプペル」というお笑い芸人のキングコング・西野亮廣(にしのあきひろ)さんがプロデュースした絵本が大バッシングされているというのだ。

えんとつ町のプペルを無料公開!→アマゾン売れ筋1位→炎上!

芸能人のにしのあきひろさんが手がけた絵本「えんとつ町のプペル」が無料公開されることによって売り上げを飛躍的に伸ばして結果としてお金儲けに成功したようである。アマゾンレビューを読んでみると、この「えんとつ町のプペル」の絵を描いた人はご本人ではなく絵師に有料で依頼した美しい絵であるというのだ。
えんとつ町のプペル にしのあきひろ大炎上!
アマゾンレビューに多くのネタバレが!

うむむ、もしも自分の金儲けのためにやったこととすれば、健全な精神をはぐくむ子供の絵本の世界をぶち壊して幼児の心を汚しているといえましょう。絵本で最も大切な要素が欠けているとすれば、です。

しかしこの書き込みが本当のことなのかどうかは確認する必要があると思います。

えんとつ町のプペルを無料で呼び込むマーケティング手法

どうやらこの本を売る仕組みは以下の通りである。
無料公開(メディアで拡散・プロモーション)→人が集まる(集客)→一定の確率で買う人が現れる(コンバージョン)→儲かる

事の詳細はわかりませんが、世の中には多くの詐欺師が跋扈(ばっこ)しており平成になってアグネスチャンと日本ユニセフや佐村河内何とかという奴らやドラえもん募金に代表されるように慈善事業の分野が私腹を肥やすことに利用されすっかり汚されたイメージとなってしまい信頼を失っていることだけは確かです。

にしのあきひろさんの生まれは1980年。2017年の時点で36~37歳でしょうか。プロフィールを見てみるとお笑い芸人のほかに絵本作家の称号が追加されています。兵庫県出身で最終学歴は兵庫県立川西緑台高等学校卒業で高卒のようです。吉本興業所属です。

世の中の常識では働きながらあのような緻密な絵が作れること自体が驚きです。何か尊敬する作家の模倣なのかはわかりませんが、とにかく上手いです。しかし働いている社会人ならどう頑張っても年に1枚描けるかどうかの作業量でしょう。働いていたら寝る間や休暇を惜しんで描いても3枚ほどが限度かも。

彼自身の画力はご本人が描いたのか、お金で誰かに描かせたものを自分の作品として発表しているのか、真相はまったくわかりません。彼は果たして佐村河内と同じなのか?という疑念が私にも湧いてきましたがそれはデマなのかどうか検証する必要があるでしょう。

少し検索してみると、にしのあきひろさんのスケッチをプロのイラストレーターに作品を発注してアウトソーシングしているらしいですね。立場は画家というよりは監督に近いでしょうか。この方式はアニメや映画の世界なら監督と呼ぶのが今の世の常識です。

もしもこの方が監督としてクレジットに依頼先の会社やクリエーターの名前を公表していたとすれば、何も問題は無かったかもしれません。しかしそうしなかった理由(本心)に人々の不評を買った本質が隠されているようです。しかも子供の善き心を育む絵本という聖域で汚れたことをやってしまったことが炎上を招いたようです。

世の中には才能があってもそれを悪いことに使ってしまう人が必ずいます。彼もまたそのうちのひとりだというのでしょうか。彼の行動に対する評価は、世の中の出来事をニュースとして消費しているひとりひとりに委ねられていることでしょう。

えんとつ町のプペル 単行本 – 2016/10/21
見た目はアートといっても良いファンタジックなグラフィック。どことなく鳥山明のキャラを3Dにしたようなイラストレーションです。

果たしてこの絵本もまた、醜い心によって作られたものなのでしょうか。

信じる者はバカを見る、日本も堕ちてしまったのでしょうか。少なくとも芸能人と政治家などの有名人は信じてはいけない気がします。

2017年1月19日木曜日

芸術がわからない仕組みがわかった!

   

芸術がわからないのは当たり前!

みなさんは芸術(アート)がわからないと思っていますか?それともわかった振りをして作品の前で長い時間をお過ごしでしょうか?芸術とは作者が説明でもしない限り意味がわからないものです。なぜわからないものに価値がついているのかその仕組みについて冗談半分で考えてみましたのでお付き合いいただければと思います。
芸術がわからないがわかるようになる説明図

作品の価値の決定システム

上記の図面に題名をつけるとすれば、芸術作品の価値が決まる模式図です。すべてがこれに当てはまるわけではありませんが、世の中というものは大体こうなっており金持ちほどさまざまな決定権を持ち合わせています。

昔は権威を見せつけるためだった

絵に限って言えば、絵というものは宗教と権力を一体化させた権力者が、その秩序を維持したり強さを誇示するために職人に絵などを作らせたのがお絵かきが仕事として成立した直接の起源であるかもしれません。

そして時代が進み、画材が整って来たので宗教や権力を誇示する絵だけでなく貴族や商人が家門の繁栄を願ったり若さや魅力を絵に閉じ込めたり、はたまたエロ本のような露骨さを消した上品な春画のようなものだったり、絵は常に権力者と貴族とともにありました。

大衆にも芸術に触れる機会が増えた!

また時代が進み、科学の発展のおかげで庶民にも知識が伝授されて賢くなってきた大衆もまた絵というものに意識を向けられるようになりました。芸術に励める人口も増えましたので芸術家は自己主張するようになってきてさまざまな表現が生まれはじめました。

そして20世紀には狂暴化した人類による虐殺と同じことが芸術の世界にも起き、芸術や文化の破壊が世界各地で独裁政権のもので起きました。多くの貴重な作品が世界から消えてしまいました。作品だけでなく、美しい建築物も多く破壊されました。これは人類史上、かなり異例のことかもしれません。私には原因はわかりませんが、狂暴化した人類の仕業といえましょう。

芸術も消費されるようになった!

時代は進み、人口が爆発的に増え、人類は繁栄を謳歌しました。画材の大量生産により学校に通えるすべての子供たちが絵を描くことを学びました。それと同時にさまざまな芸術が生み出され、ガラパゴスのようになりました。人類史上、はじめて大衆の命が大事にされた時代であるといえましょう。(←今ココ)

あまりにいろんな作品が出てきて芸術だといわれるものですから、私たちの脳にとっては許容範囲を超えてしまった芸術を理解することができません。商業と結びついた芸術家の中にはさむら何とかというような詐欺師や日展の不正まで現れました。玉石混合のあまりの芸術スパムの多さに、大衆がお金のために騙されてしまうのです。

芸術の何たるかがわからない私たちは、権力者やお金持ちが作り出した価値に従い美術館に出かけて「ふむふむとわかった振りをしたり」、デートで美術館に付き合ったりと、適当な動機で芸術鑑賞を楽しんでいるのです。

価値を決めるのはアナタ次第!

芸術の仕組みについて、本質に立ち戻ってみましょう。芸術の価値を決めたのは誰ですか?そうです、それは雲の上の超お金持ちです。私たちは彼らが良いと決めたものを良いと信じて見ているだけに過ぎません。芸術が良いと言ったのはその作品を買い取った超お金持ちであり、大衆ではなかったのです。だから金持ちが気に入った作品について金持ちにより評価がついたものの、価値観や感覚の違う下層の私たちにはその良さはわかるはずがないのです。

芸術はわからなくて当たり前なのです。中には暗号化した作品もありますから意味がわからなくて当然です。

他人の価値観を受け入れて良いと思い込んで自分や同伴者に嘘をついたり、お宝として欲目で鑑賞したり、人柄や思想や表現に惹かれて心から好きになったり、作品が良いかどうかは鑑賞者であるあなた自身が決めれば良いことなのです。

歳をとったらまた違った感想が湧いてきて、親近感を抱く作品もありますので、無理して感想を抱く必要はありません。

ただ芸術がわかったとか、「こう見れば芸術がわかる」と言っている人のことだけは詐欺師かもしれないので絶対に信じないほうがいいと思います。
   

大学に行くまでに入ってはいけない部活と入って良い部活

   

賢くなるために入るべき部活と入らないほうがよい部活

少年老い易く学成り難し

子供時代に人生を誤り心に深い傷を負って一流大学に入る元気がなくなる部活について考えてみました。ここでは何の社会的特権もないご家庭のお子様が中流にのし上がるために少ない力で効率よく進学するためのノウハウを述べています。既に特権をお持ちの方には無価値な記事です。若いうちに人生が終了しないためにも部活選びは戦略的に行いましょう。

野球部とサッカー部とラクビー部など集団プレイの部活は×

野球部に入ると難関大学に行くための勉強ができなくなる可能性が高まります。常に集団行動を求められるので自分で判断して考えることを尊重しない体質があります。サッカー部やラグビー部はヘディングをするため脳に微細な障害が生じることが証明されています。バスケット部もまた心臓に強い負担が生じます。人間的にも低レベルな人たちが集まりやすいので幼稚なまま大人になってしまうリスクがあります。集団になじんでいるから自分は大人になれたと勘違いする人がたいへん多く孤独に対する耐性が低くなりがちです。ほかにはバレーボールやソフトボールや柔道や剣道といった高学歴に不利になる部活もここに含まれますが警察や防衛関連の省庁へのキャリアを希望するなら剣道という格闘技は外せないでしょう。営業マンやトラック運転手など高収入を望まないのであれば、おすすめの部活ともいえます。将来教師や農協や地方公務員や地方の信用金庫など集団と関わる仕事に就くには◎です。

吹奏楽部もスポコン系で×

日本の吹奏楽部は個性が尊重されず野球部と似たような体質で上下関係が厳しいうえに部員のいじめがありますのでいじめる側でないと人生が壊れるので勉強に専念したい方には非推奨の部活です。楽器の練習と人間関係がすべてですので表面的な技巧に囚われやすく本来の芸術性の追求は行われないのがほとんどのケースであり肺活量と反射神経を鍛えて疲れるだけの無駄な時間であるとも言えて、早々に結婚して将来主婦になるには◎な部活です。どのみち家でやると近所迷惑になるので大人になったら遠ざかる分野であることは間違いなくそこを無駄と思えるかどうかがポイントとなってきます。私の印象では主婦や底辺の仕事となる人が多くて将来稼げない人が多いという印象です。

帰宅部は△、帰宅→塾は◎

高校では部活に入っているとなかなか勉強する時間がとれません。生涯の友人を作るためには部活動に参加したほうがよいでしょう。しかし帰宅部に入ると人生の経験値が入りづらいというデメリットがあり、帰宅する前に塾に寄る機会がないと怠けてしまいます。

科学系や語学系は◎

モテナイ人が入ってる印象がある科学系の部活。しかし将来知識系のハイレベルな仕事に就こうと思うと外せません。

趣味系は△

趣味といっても絵、写真、バンドとありますが、バンドは進学への将来性が×です。絵は3年間でそれほど上達しませんし貧乏とつながりが深いのでビジネス方面に行くのであれば入部しないほうがよいでしょう。写真は頭を使い、ラクでストレスも少ないので進学に有利であるように思います。ギャンブル系は人生をダメにするので入部してはいけません。演劇も魅力や性の快感に目覚めて裏社会とのつながりも深いジャンルなので人生をダメにするリスクが高いです。茶道は人との適切な関係が学べるので◎ですが華道はその逆ですので技巧にとらわれやすく本質を見失いやすいので×です。

卓球・テニス・フェンシング・アーチェリー・馬術は◎

卓球とテニスは1対1の戦いであり、対戦相手を倒すというよりは自分自身を乗り越えるスポーツです。しかし勝つことに執着して自分を見失ってしまうリスクがあり、そこにはまると人生でも失敗してしまう可能性があります。自分を見つめて考えながらやることが人生で成功する秘訣です。これらの部活は紳士・淑女といった適切な社会マナーを必要としますので、上品な礼儀を学ぶ場としても有効です。

拳法など宗教系は×

中国の拳法や空手など、宗教と密接につながっている部活は論理的思考を阻害し、時には人生を奪われるのでビジネスで成功したいなら入部しないほうが吉です。それらには独特のファンタジー(空想)要素が含まれており自己の内面への固執しすぎるスポーツですので極めるためには長い長い時間が必要であり自己を探求するあまり就職の機会を失ってしまうリスクがあります。これらは利己的欲望を否定しますので、ビジネスの価値観とは合いません。

格闘技も×

格闘技は考えずにパワーと瞬発力だけで戦うことに重きが置かれていますので思考能力が養われないので進学や就職には不利なスポーツです。何も考えない能力が身に付きますので定収入でもうつ病を徹底して避ける人生を歩みたい人には◎です。

陸上も×

陸上は精神的に幼稚な人が集まりやすく、知的に生きたい人にはおすすめできない部活です。ガリ勉が走ってるだけで笑いものにされるのも陸上部です(笑)幼稚な人によって人生を邪魔されることがありますので進学したい子供にはすすめられない部活です。幼少より特別にコーチをつけたりしていないと、スポーツマンとしての将来性は難しいかもしれませんね。体格も背が高く脚が長くない人はスピードを競う競技をするのはあきらめましょう。両親の身長と手足が長く鼻呼吸で眠れる場合には入っておく価値はあると思いますが、鼻炎だったり花粉症だったりぜんそくもちだったり親が肥満だったりする場合は出生時より脂肪細胞が多く望み薄かもしれません。

報道系は×

報道は誤解の多いジャンルです。批評することが仕事と勘違いしている人が多く、下手をするとなんでも他人のせいにすることやサヨクに影響されるなど人格への悪影響がありますので×です。強烈な個性を持っている子が多く集まりますので、偏った考え(妄想)を持つおそれがあり真実とは正反対のねつ造や嘘をつく技能が磨かれます。将来記者になったりテレビ制作や広告業界に入りたいなら◎です。

福祉系は×

人のお世話をする部活ですが、福祉は低所得の仕事であり、進学には適さないジャンルです。医学部や薬学部、看護学部に行く以外では高収入を意識して入るメリットがありません。リハビリやカウンセラーなどのセラピストはがんばっても当面、年収240万円、高くても300万円までの業界です。

文学系は△

子供時代に悟りを得ることは親がまともじゃないと難しく、下手をすれば妙な思想(妄想)に取り付かれて道を誤り人生を踏み外す可能性があるジャンルです。突き詰めていけば欲望や死について深く考えざるを得なくなり最終的には生きるか死ぬか自分で決断せざる負えなくなりそこで死を選ぶ人も低確率でいる分野です。心の奥の底の発狂するかどうかのギリギリまで沈み込んでそこを浮かび上がり乗り切れる強さがあれば◎ですが乗り切るまでは自分を見つめるがゆえの内面の苦しみは避けられませんし若い人が直面するには仏教の知識や信仰心がないと辛すぎる壁だと思います。つまり文学とは自分をみつめなければ達成できない分野なのです。悟りが必要となるので無宗教や他の宗教には下手をすると精神に歪みを生じる厳しい精神修行のジャンルといえましょう。悩み深い若者時代を送ることになるため奇跡的に早期に悟りを得られない限りは苦悩して勉強がおろそかになるリスクがあり最悪は死に繋がります。しかしこの禅に通じる人生の中庸のスキルビジネスをしていくうえではどのみち必須のスキルになります。商売の学習と平行して学ぶぶんには利益と自己の追求に成功すれば心の安定につながるジャンルです。特に親が内面に関してパッパラパーな場合は子どもが苦しむためほんとうに最悪なこともありますので入るのはやめといたほうがいいでしょう。最終的には考えた長い時間でさえも無意味であると悟りを得るので実のあることをしたほうが有意義なんですよ(笑)

子供スカウトは◎

ガールスカウト、ボーイスカウトは社会について学べる機会がありますので健全な子供を育てるために良いと思います。そのまま海外に行ってしまう子もいます。

まとめ

部活での悪影響を避けて将来ビジネスで成功したいのであれば、経済や経営について学べる部活または英語かフランス語、そしてスポーツなら卓球とテニスがおすすめです。今回の記事はかなりてきとーに書いてますので冗談半分に読んでくださいね。
   

奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~「卓球」の感想

   

マリオさんの卓球レッスン

2017年1月19日、BS1で「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~「卓球」」という番組をやっていて卓球コーチのマリオ・アミズィッチ(Mario Amizic)先生が印象深いことを言っていたので忘れないようにメモしておきたいと思いました。

日本人は勝負になると練習で考えて来たことを忘れてしまう

マリオさんが子供たちに指導している時に、子どもたちが試合になると練習でやってきたことを忘れて思考が停止して本能だけで行動してしまうことを残念に思っていました。

日本人は1番になろうという欲望が強い。勝負に勝ち負けなんてない。負けることも重要だ。

子供たちが思考停止して欲望にまっしぐらな動物になってしまうのは、1番になりたいという欲がどの国の子たちよりも強すぎると分析していました。

勝ち負けにこだわらずに自分のプレーを意識しよう

勝ち負けに意味はなく、何か新しいことを学ぶ際に失敗はつきものです。失敗は恐れてはいけません。楽しんでよく考えて行動することのほうが大事です。

マリオさんはユーゴスラビアの戦争で美しい故郷が無茶苦茶に破壊されてしまった様子を見て、この戦争に勝者はいない、両陣営は敗者なのだと思ったそうです。それはスポーツについても同じでした。

失敗しても大丈夫、失敗を恐れずに楽しもう

日本人は失敗することを恐れてダメだと思ってしまう。しかし人は失敗から学ぶことで成長します。怖がったりくよくよしていることのほうが時間の無駄です。勇気を出して楽しもう。

みんな、勝ち負けにこだわらないで今できることをどれくらい試合にだせるか考えてみてね

みんな大好きだよ、一週間楽しかった。怖がらないで。でも挑戦しないと先には進めないんだ。だから戦って。マリオさんはこう言ってこともたちに別れを告げました。

考えながら卓球せよ

試合になったら誰もやり方を教えてくれません。自分で考え自分が自分のコーチになるしかありません。マリオさんは人に頼らず自分で答えを考え導き出すことを指導しています。

結論

マリオさんの言っていることは卓球に限らず人間の生き方に通じる知恵がありました。本能だけで条件反射しないこと、よく考えて自分で判断すること、そして楽しむこと。これはマリオさんの苦しみから生まれた生き方の信念でもあります。

子供たちを叱って怖がらせて萎縮させてしまうと考えることも停止し何事に対してもおそれを抱いて判断能力は養われません。

論理的な指導・・・自分で考え判断できる生き方をすることこそが人間がただのケダモノとならず充実した人生を楽しむ秘訣であると私はマリオさんの教訓から学ばせていただきました。
   

2017年1月18日水曜日

縦に長いページにアドセンスを配置する方法

   

激しいSEO競争の果てにページが縦に超長くなった場合の広告配置

みなさんこんにちは。SEOライフで消耗していませんか?google検索で上位にランクインするため記事に情報を詰め込み過ぎてページが縦に長くなるとフッターの広告のクリック率が何割か下がってしまい収益率も下がります。しかし2016年にアドセンスの広告の上限数が撤廃されましたので、記事中にも追加で広告を挿入することが可能になりました。

このページみたいなへっぽこブログに記事中広告はまったく必要ありませんけど、本気ページはどうしてもページが長くなってしまいます。

ページがとても長くなった時に有効なのが広告(アドセンス)を2つ追加する方法です。広告の数は多すぎると検索結果に影響するのでアマゾンや楽天よりもアドセンスのほうが効果的であると私は思います。商品を紹介するとどうしても欲張ってしまい広告の数が増えますからアドセンス1枚のほうがよっぽど効果的なんじゃないかと思います。

縦長のページで余っているスペースといえばサイドカラムです。ここにひとつレスポンシブサイドバナーを挿入してみましょう。ラージサイズのバナーもありますけど、レスポンシブ広告を貼っておけば自動でラージも表示してくれますのでわざわざサイズを固定する必要はないと思います。
アドセンスの配置例
縦長のページについて広告収入は欲張っちゃいけないと思います。検索上位になりたいために情報を詰め込んだのは自分のせいですから、競争が激しくて利益が減ってしまうのは上位5位以内に食い込めなかったら当然です。

アドセンスを追加するよりも1位を目指して不正のない正しい方法で正しい情報を提供することのほうが精神衛生にも良いと思いますし、誰かの目にとまってメディアへの出演オファーもあり得ると思います。
   

2017年1月13日金曜日

お茶請けには抹茶バームクーヘン!

   

寒い冬はほっこりお茶とお菓子を味わおう

冬も厳しくなり暖かい飲み物がないと自宅で過ごしずらくなってきました。みなさんご機嫌いかがでしょうか。本日のおすすめは静岡産の抹茶を使用したバームクーヘンと茶葉のセットです。普段お世話になっている方やおばあちゃんへのプレゼントにも最適です。

この抹茶バームクーヘンCHIYOの和は楽天ランキング1位を獲得した人気のバームクーヘンです。100%静岡産の深蒸し抹茶を使用しており香り高い仕上がりとなっています。このお菓子の緑色は着色料や保存料不使用で抹茶本来の自然な色合いが出ています。

卵は清水養鶏場の生みたての鶏卵を使っており新鮮です。

フォンダンは口どけを考慮した丁寧な作りとなっています。

煎茶の静の誉は甘いバームクーヘンと合うように作られていてうま味・渋み・甘味のバランスが良くおいしいお茶です。茶葉の産地も静岡県の山側にある本山と川根という川の上流の清らかな場所で作られていて品質は最上級です。

この冬はお茶と抹茶バームクーヘンでほっこりしてはいかがでしょうか。
   

バレンタイン2017年にに贈りたいギフト特集

   

バレンタイン2017年にに贈りたいギフト特集

2017年のバレンタインは2月14日です。最近は海外を模倣して男女関係なくプレゼントを贈り合う習慣に変わってきているようです。今までは職場の男性に女性が義理でプレゼントを贈り男性が(妻に買ってきてもらった)お返しをプレゼントするという無意味な儀式となっていました。たまに指紋ベタベタで髪の毛入りのチョコを父が貰って来たこともありました。チョコは手作りよりも、買って来た物の方が日持ちもするので有難いですね。今年こそ意味あるバレンタインデーを過ごしたいです。
バレンタインデーに親しい人に贈るギフトにおすすめなのが、プロジェクター時計です。壁の好きな場所に時間などを表示できるので夜が愉しくなりますよ! 楽天市場ではバレンタインデー特集をしていますので是非見て行ってくださいね!    

2017年1月4日水曜日

年末と正月は独身男女にとって憂鬱なイベント

   

年末と正月は独身男女にとって鬱イベント!?

みなさんお正月はどうでしたか?お正月といえばクリぼっちに負けず劣らず独身のやもめ男女にとっては鬱イベントです。親からは結婚結婚と・・・聴くだけでストレスな言葉を連発されて鬱になったり精神が不安定になることでしょう。ですが私たち独身男女はいわば社会の荒波にもまれて強くなるしかない種類です、このくらいで鬱になっていては仕事ができないとすぐに立ち直ることでしょう。そうはいっても正月はどこに行っても人だかりで出かける場所もないし、いつもとは違うことをして過ごしたいと、気が付いたら情緒不安定になっています。やはり自分の縁のない現在と確実に親が死ぬとわかっている将来については無視仕切れないのでつらいと思ったら思い切り泣いてすっきりしてしまいましょう。今できること、好きな物を食べることと、初詣くらいは行っておきましょうね。
   

友人関係は一時の繋がり

   

友達は夫や妻より大事という人もいるけど実はそれ以下だった。

夫や妻に先立たれたり裏切られたときのための保険として友達を大事にしているという不届きな人もいますけど、それは本当の関係ではなく利害関係であり友情ではありません。ともに笑い遊んだ仲でもご縁は突然切れてしまうもの。友達ごっこだって永遠のものではありません。本当に頼れるのは基本的に自分>親>配偶者>きょうだいしまい>の順だとは思いますが、家族関係以外は金の切れ目は縁の切れ目で薄情なものです。近頃はインターネットで「友達の基準」なんてものまであるものですから、そんな指南書に流される程度の友人はほんとうの友達ではありません。共に学んだ学生仲間ですら、別れてから10年後にはすっかり他人です。まだ友人と親しくなったとしてもそれは1からの新しい関係といってもよいでしょう。新しい友人を作ることと何ら変わりのない間柄といえます。

人間は孤独な生き物なのです。人生とはひとり旅をすることと本質的に同じなのかもしれないとこの頃思います。

永続的な人間関係などこの世には自分の子孫以外にいないのです。

悲しいけど現実です。

落ち込んでばかりはいられません。

むしろ昔の友人が減って困るような今の環境が問題なのです。

老いてくれば遊び相手も減って来て大自然が遊び相手になってきます。経済格差により人同士のリア充前提の交流も難しくなり中高年が山を友とするのもわかる気がします。

生き延びるための利害関係がなくなればおのずと人間関係は無くなります。    

年賀状が来なくなった時の考え方

   

友達と思ってたのに年賀状が来なくなった

小学校、中学校・・・高校、大学・・・すっかり年賀状だけのやり取りとなった古い友人たち。でも私の世代と親や祖父母の世代とでは人間関係の考え方が違うようです。自分の親の世代では学校や職場との縁が切れても年賀状交換は延々と続いています。私の若者世代では会わなくなった関係は結婚式に出席した仲であっても年賀状が来なくなるほど薄情です。友達というものは歳月が流れれば流れるほど懐かしく思い恋しく思うのは私だけなのでしょうか。そして数十年後、会ってみようと会いに行った親を見てるとやはり年賀状だけでもと思うのです。自分の親はかつての仕事の仲間をいつまでも思いやって懐かしんでいるも会うことはありません。そんなに思ってるなら会えばいいのにと思います。

しかし私のような若者世代は情が深くないのか、ある年突然年賀状が来なくなることがほとんどです。私の胸中は悲しいわけですが、相手にそんな思いはわかるはずもありません。2017年、ついに結婚式に出席した友達からも年賀状が来なくなり友達について考え直さなければいけなくなりました。

昔の友達というものは相手にとって私という存在は不要であったのかもしれません。

思えば年賀状という習慣が出来たのはいつ頃からなのでしょうか。

年賀状は19世紀の終盤あたりから日本で普及しはじめたグリーティングカードの一種で、それ以前では支配者階級に利害関係をともにする間柄で新年のあいさつが行われていただけでした。年賀状の歴史は遡ると有力者の挨拶がはじまりとなる歴史の古い習慣なのでしいた。現在は若者の年賀状でのあいさつ習慣は廃れつつあり日常生活で会うかどうかが縁の切れ目となっているようです。

ココ重要:今は昔と違い日常で会うかどうかが縁の切れ目

実に寂しいことですが、日ごろの友人との付き合いが無い限り、年賀状は来なくなって当然と思いましょう。

何かあったら助けてくれるという期待は幻想です!年賀状だけのやり取りでは誰もあなたを助けてくれることはありません!

ビジネスをはじめるか、新しい友人を作りましょう。

寂しいと思ったら、死ぬまで長い付き合いのできる場所を自分の居場所にしましょう。

テレビでは震災が起きると「がんばれ」と熱い情を演出していますけど、世の中はあなたが思う以上に冷たいのです。

過去は捨て去れり、友情の維持に努力しなかったあなたにも責任の半分はあるのです。

友達なんて同じ水準の人生を送ってないと維持は無理だと思いましょう。

一人の人間が濃い相手をできる友人はせいぜい二、三人ほどです。残りはビジネスの付き合いと同じでただ群れていたかっただけ、異性を呼び寄せ結婚式に呼ぶための関係なので用済みとなれば捨てられるのがオチなのでしょう。

たくさん泣いたら、人生の一歩を踏み出しましょう。
   

2017年1月3日火曜日

2017年福袋の中身は鬱袋ゴミ袋だった!?

   

みんなの2017年正月の福袋はどうだった?

1年で一番暇な時期でもあるお正月。することがないのでショッピングで福袋を買われた方もいらっしゃると思います。福袋、私もいいものがないかとネットで検索をかけてみたのですが、福袋で買いたいほどの物はなにひとつありませんでした。よくありがちなニッセンの下着福袋セットや靴下セットもしょーもないものばかりで貧乏人向けのものでした。ブランド物の福袋も単品でセールで買ったほうが安かったりするのでお得とはいえません。ソフマップのパソコンのセールもイマイチ。でもお正月、私自身は何も買ってはいないけど、家族は6万くらい買い物に使っちゃっていました。

ほんとうにお買い得な福袋は瞬殺or一晩の行列

一時はアップルの福袋で男性が行列をしているみすぼらしい乞食な光景が日本の風物詩でした。2017年はヨドバシカメラのようなお店が行列をしているみたいですね。ヨドバシの福袋を買うために寝ずに並ぶなんて!年末年始にアルバイトをしたほうがマシでしょう。そこまでして働きたくない生き物が人間という怠け者!ほんとうにお買い得な商品は転売屋が買い占めちゃうそうなので、ほんとうに必要な人は福袋に期待するだけ無駄というものです。

結論!福袋は買うだけ無駄

私も成人してしばらく幼稚だった頃は福袋というゴミ袋を買って満足していた時期もありましたけど、所詮それは福袋を買ったという満足感であり必要な道具を得たという満足感は満たされないことを学習しました。

そうは言っても騙された正月セール!

福袋2017年は買わなかったけど、実は私もやらかしました!イオンのBigのワゴンに大きな文字で半額と書かれたコーナーがあって、そこにあった4枚入りの男物の下着を手に取り値札の半額かと思い込んでしまい騙されました!!!あちゃ~。みなさんもお気を付けて・・・。販売実績もないのに半額と騙して定額購入させて詐欺すぎるでしょイオン!
   

2017年1月2日トランスジャパンアルプスレース 2016の視聴感想

   

テレビでトランスジャパンアルプスレース 2016のドキュメンタリーをやっていたので最後まで見たので感想

お正月、家族が病気だったので外出せずに家でテレビを見ていたら何ちゃんねるか忘れあけど何やらおかしなレースをしているドキュメンタリー番組があった。どうやら「トランスジャパンアルプスレース 2016」という富山県から駿河湾まで日本アルプスの徒歩専用コースを怪我をしてでも無理して縦走するレースのことらしい。三十人くらいの選手が死と隣り合わせで三千メートルの山の尾根を行き速さを競うレースである。なんとこのレースのために仕事を辞めて貯金だけで生きている男性もいた。トップ選手は山小屋でアルバイトをしながらトレーニングを積んでいたらしい。その他の選手の背景については触れていなかったが素人っぽい選手も何人かいたようだ。

「一体何のために!?」

もはやそこに山があるという言い訳は世間には通じない。私はトレイルランという山を愛していない人々のパタゴニア以上に長距離で危険なレースを家族が面白がるので一緒に最後まで視聴してやはり山を愛している人たちと何か違うなという違和感は確信に変わりました。(険しく危険な山でレースして)自分の限界に挑戦したかった・・・加齢で衰えてきたら順位が下がる一方なので上には行けないから(おいしくないから)辞める。

トップ選手のひとりが言いました。つらくてつらくて・・・景色を楽しむ余裕は前のレースで無かった。追い越されまいと睡眠時間を2時間未満にしたら頭がおかしくなってきた・・・。寒気がして気分が悪かったけどカップラーメンを食べて復活しました・・・。(この状態で危険な山を走行するなんてどんな事故が起きても不思議ではない!)

そして大好きな山を心の支えにするのではなく、沿道の声援で力を得て走り出すトップランナーに失笑しちゃった。結局他人からの励ましや名声欲のほうがその人間には山より力の源なんだってね。

パタゴニアレースの模倣だと思うが、日本の山を舞台に何かおかしすぎる。

別に山に対して野糞に一週間野しょんべんと散々無礼を働いたとしても法律は無いのかもしれないから無問題である可能性もあるだろう。だがそれでいいのかと本気で思う。もちろん彼らはエチケット袋など持参していないだろう。誰が一週間分の数十人分の糞便の処理をするのか?量としてはかなりのものになるだろう。誰もしてないんじゃないかと思う。(私は一度も大自然の野で用を足したことはないです。)

脚の爪がとれてしまったり、意識が朦朧としながら山を歩くこと自体がおかしい。滑落の危険のリスクを自ら望んで侵している。ほんとうに山が好きなら無理したりせん妄を起こしたり怪我をしてまで山道を急ぐはずがない。ほんとうに山を愛している人たちではないことがここでまたひとつ証明されている。(感情的の)好きと(自らの行動によって)愛するの区別もついていないのだろう。もちろん山に登る行為=山を愛するではない。山に行かないこと自体も山を愛する本質的な行動のひとつといえる。

ほんとうに山を愛しているならこのようなレースに出場するはずがないと私は確信しました。

家族の感想が端的にこのレースを象徴している。

「面白い。」

視聴者にとってはハラハラするような娯楽でしかない。面白いからこそ金になる、危険な山を走って遊ぶ人が増える、そういうことだろう。挑戦者にとってレースは挑戦という甘い蜜であり生きる目標にまでして達成感という快楽を得ようと何もかもを捨ててしまっている中毒者も出るくらい依存性があるようだ。バス釣りをはやらせるべく奥地にバスを放流しまくった釣り具屋と本質は変わらない。バスがトレイルランナーや山ガールや山ボーイやジュアルな遊びを楽しむ人間に置き換わっただけなのだ。もちろんそれだけではないしスキー場や別荘の開発、特に資源の掘削は環境や動植物だけでなく人間への直接的な害がある。誰もが簡単に自然と触れ合え地形を変えられるようになったからこそ美しい自然が消えていき問題が深刻化していると言わざるを得ない。何もトレイルランに限ったことではないが赤信号をみんなで渡ること自体がトレイルランの免罪符になるわけではない。

限りある日本の山々が人間という存在するだけで他の生物に害となる生き物がカジュアルに遊ぶための場所となり金儲けの道具となっていること自体が問題だ。もちろん道具ではなく信仰や政治の対象だとしても何かと正当化する理由を付けて破壊や植生の変更を行っているだろうけど。

トレイルラン、バスの放流みたいに早く法律で禁止されないかな~。問題が起きてからじゃバスみたいに二度ともとに戻らなくなるし遅いよ。「国立公園内におけるトレイルランニング大会等の取扱いについて」という環境省は不適切と認識して警告文は出ているみたいだけど運営側は儲かるから注意されたくらいでやめるはずがない。もちろん徒歩の登山だってハードル上げて禁止してほしいくらいだ。山に立ち入ること自体をもっともっと厳格化・有料化してほしい。山にゴミや汚物を捨てたら違法にすべき!でないと人間の悪い欲望は止められないよ。そこでしか生きられない希少生物もいなくなっちゃう。ほんとうに山が好きで愛してるなら山に行かないよ、まぢで。つーか、もう遅いわな。人間の悪いは止められない!どうにでもなれ!トレイルラン、本質的にはバス釣りと同じで道具を売って儲けるために関係者が利権を得ようとつるんで日本人に流行らせたヤラセには変わりはないし、パチンコと本質は同じで金儲けのために作り出された遊びに騙されて流されている人々を責めるつもりはないけど、スキーやスノボみたいに私有地で遊ぶわけじゃなくて貴重な自然のある場所がレースの舞台なだけに施設や土地の購入も必要のないせこい商売でもあり嫌われて、見下されて当然!