2018年の七草がゆ
七草がゆ(wikipediaからライセンスを確認して転載)
2018年のお正月も終わり、もうすぐ七草がゆの日がやってきます。2018年の七草がゆの日は1月7日です。七草がゆの具材は「セリ、ナズナ(ペンペングサ)、ハハコグサ、コオニタビラコ、ホトケノザ、カブ、ダイコン」です。カブ(蕪)とダイコン(大根)以外は野草(雑草)ですので野で摘んでくる必要があります。そもそもカブとダイコンが他の野草と同時期に生えているかといえば、生えてません。ナズナといえばぺんぺん草とも呼ばれ、ある程度の年齢の人は野原でぺんぺん草を振り回して遊んだことでしょう。しかしそのナズナも春の野草ですのでグレゴリオ暦の正月にはまだ生えていません。
旧暦の正月は2018年では2月16日金曜日です。2月16日というと、まだ寒さの真っただ中です。この時期の大根や蕪は現在の日本ではとう立ちしており旬は過ぎているといえましょう。すると「春の七草」の実現可能性に疑問が湧いてきます。一体誰がこのような決め事を作ったのでしょうか。
wikipediaによると、御伽草子(江戸時代に記された本)の七草草子の説話によると、かつての唐(とう)の国に大しうという親孝行者がいたそうです。その大しうという人は百歳を超え体が思うようにならない両親を哀れに思い山に入って二十一日間祈祷したそうです。大そうは自分に老いをうつしてよいので両親を若返らせてほしいと願ったら、帝釈天が次のようなお告げを下されました。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、この秘術をぬしら親子に授ける。ついては、毎年春のはじめに七種の草を食べること。1月6日までに7種類の草の集めておくこと。次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩くこと。
- 酉の刻から芹(せり)
- 戌の刻から薺(なずな)
- 亥の刻から御形(ははこぐさ)
- 子の刻から田平子(たびらこ)
- 丑の刻から仏座(ほとけのざ)
- 寅の刻から菘(かぶ)
辰の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これを煮て食べること。
- 卯の刻から清白(だいこん)
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」(wikipediaより引用しました)
大しうはすぐに山を降りて七草がゆを作って両親に食べさせたところ、両親は若返りました。この話は時の帝の知る所となり、この話に感動した帝は譲位したというそうです。
私もこの話ははじめて知ったので、まさか七草がゆが「親孝行の功徳」を伝えるものであったとは知りませんでした。七草がゆは自分が食べるというよりは、自分の親のために七草がゆを作り長寿と健康を願い孝行するといったほうが正しいかもしれません。
これは日本のおとぎ話です。この説話のルーツをたどると中国の梁の時代にはあったそうです(知恵袋:七草粥の風習はもともと中国の風習ということ…より)。その知恵袋にはさらに興味深いことが七種菜羹に書かれており正月の7日間にはそれぞれの動物を殺さず感謝する伝統があったそうです。中国では1月7日を人日の節句といい五大節句のひとつの年中行事となっています。生き物への敬意を表す概念も、中国から伝わったみたいですね。日本には「天皇神宮歴史帳」に七草がゆの記述が見られるそうですから9世紀には既に七草がゆが宮中に浸透していたようです。
地方にはさまざまな変種の七草がゆが存在しています。
平安時代に宮中の七草といえば、雑穀の米・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・蓑米(みのごめ)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)だったそうです(No. 49 【七種菜羹】 しちしゅさいこうhttp://fukushima-net.com/sites/meigen/63より引用しました)。
平安時代に宮中の七草といえば、雑穀の米・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・蓑米(みのごめ)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)だったそうです(No. 49 【七種菜羹】 しちしゅさいこうhttp://fukushima-net.com/sites/meigen/63より引用しました)。
この説話で重要なことは、両親への孝行という価値観です。この孝行心なくして本物の七草がゆは成り立たないと考えられます。
本当の意味の実践(まごころ)より形式(しているふり)だけを重視する場合、そこまで真似しなくてもいいかもしれませんが、やはり教養ある生き方をするのであれば、本物の意味だけは知っておいたほうがよいと思います。